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被爆者 生きざま語る直筆 広島平和祈念館で企画展 惨禍や苦難 次代に継承

 約15万編の被爆体験記を収集、保存する国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)は7日、直筆原稿などを紹介する企画展「受け継ぎ、語り継ぐ」を館内で始めた。被爆80年の節目に、被爆者が自ら残した言葉を通じて原爆の惨禍や、戦後の苦難の人生を伝える狙い。来年2月末まで。(山本真帆)

 直筆原稿5編のほか、複写21編が並ぶ。藤井八枝さん(2021年に93歳で死去)は16歳の時に横川町1丁目(現西区)で被爆した体験を1995年に記録。姉を捜し回った後、高熱と下痢で倒れ、約1カ月意識を失っていた。その姉は体中にガラス片を浴びて傷痕が残り、周りの目を気にして食事も人前で取れなかったという。「世の中の片隅で隠れる様に戦後を生きた」とつづる。

 体験記を基に写真や原爆の絵、収録した証言でつくる約27分の映像作品も公開。執筆者の一人で昨年12月にノルウェー・オスロであった日本被団協へのノーベル平和賞授賞式に出席した木村緋紗子さん(87)=仙台市=は「再び被爆者をつくってはならない」と訴える。ナレーションは俳優の上白石萌音さんが務める。

 三重県から訪れた大学2年奥ひかるさん(20)は「被爆者の言葉や当時の写真に衝撃を受けた。高齢化が進む中、残していく大切さを感じた」と見入っていた。

母子の体験記 遺族も見学 「多くの人に見てほしい」

 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で始まった企画展で、母子の体験記が紹介されている。亡き高橋清子さんと長男の茂さん。合わせ読むと、未知の被爆に襲われた家族の記録や心情が一層伝わる。

 茂さんは被爆当時12歳で広島一中(現国泰寺高)の1年生。爆心地から約900メートルの校舎の教室にいて、建物の下敷きになったところを友人に助け出された。焼き尽くされた街や遺体の山を見ても「驚きも悲しみもなかった」と振り返る。

 ただ、2週間後ごろから高熱で寝込み、歯茎から出血が続いたという。「原爆症が発病したのだ」。その様子を清子さんが「息子の原爆闘病記」として残している。ビタミン注射をしたり、ドクダミを煎じて飲ませたりして看病。近所の子どもが亡くなったと聞くと、「私が眠っている間に冷たくなってしまう気がしてならなかった」と心境を書き留めている。

 企画展を見学した次女の美恵子さん(80)=安佐北区=は「何か訴えたいと思って家族が残した記録を多くの人に見てほしい」と願った。

(2025年3月8日朝刊掲載)

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