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原爆前日まで つづった日常 13歳で被爆死した森脇瑤子さんの日記 遺族、資料館に寄贈へ

 1945年8月6日に被爆死した県立広島第一高等女学校(現皆実高)1年の森脇瑤子さんの日記が、原爆資料館(広島市中区)へ寄贈される見通しになった。日記は被爆前日までつづられ、戦時下の13歳の少女の日常と原爆の悲惨さを象徴する遺品として知られる。同館は「肉筆が多く残っており貴重。より大勢の人に知ってもらえるよう保存、公開したい」としている。(山本祐司)

 日記は縦21センチ、横15センチで、赤い格子模様の千代紙を表紙にしている。入学した4月6日に始まり、少女の素顔と戦時下の暮らしを伝える。森脇さんは爆心地から0・8キロの小網町(現中区)付近で建物疎開中に被爆。大やけどを負い、当日夜に亡くなった。

 現在の廿日市市宮島から通学しており、日記は被災せずに残った。被爆者で兄の細川浩史(こうじ)さん(2023年に95歳で死去)が「広島第一県女一年六組 森脇瑤子の日記」として1996年に出版。中学校の教科書で紹介され、英訳版も刊行されるなどして世に広まった。

 細川さんは衣服などの遺品は寄贈したが、日記は「これを手放すと体に穴があくよう」と最期まで手元に置いた。「死んだら棺おけに入れてくれ」とも言い残した。

 細川さんの長男洋(よう)さん(65)=広島市中区=は市の家族伝承者として活動する。父の思いを大事にしつつ「個人的な思い出で終わらせてはいけない」と考えた。表紙が破れ、製本が崩れそうなほど傷んだ現状も踏まえ、寄贈を決めた。「世界平和の役に立てば」と語る。

 日記のほか、愛用の万年筆、国民学校時代の学習帳約30冊なども原爆資料館へ託す。土肥幸美学芸員は「日記の記述だけでなく、兄の浩史さんが語ってきた証言があることで少女の生きた証しがリアルに伝わる」としている。

(2025年3月13日朝刊掲載)

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