[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1955年8月6日 初の原水禁大会 開幕
25年3月16日
1955年8月6日。広島市で「原水爆禁止世界大会」が始まった。3日間の会期やその後の関連行事に、全国各地で原水爆禁止署名に携わる市民に加え、核兵器保有国の米国の平和運動家や同じく核を持つソ連の医学関係者たち海外14カ国の52人が参加。総勢5千人超が集った。
その10年前、米軍が広島、長崎に投下した原爆でおびただしい命が奪われた。49年にソ連、52年に英国が初の核実験。54年3月には米国が中部太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で未曽有の水爆実験をし、漁船の乗組員や周辺住民が被曝(ひばく)した。
大会は、ビキニ被災を機に広がった署名運動をまとめる東京の全国組織が運動の総括として開催を決めた。広島で署名を集めた市民が被爆10年も考慮して提案し、決定後は広島準備会を結成。原爆の被害者も加わった。
56年結成の日本被団協の初代事務局長に就く藤居平一さん(96年に80歳で死去)はこの時、準備会の一員として募金活動に尽力。原爆で父、妹を亡くし、戦後は民生委員を務めていた。後に、被爆者運動を研究する宇吹暁さんの聞き取り(81年の「まどうてくれ」)に、ある広島県北の児童から100円が届いたことをこう振り返った。
「世界史の書き換えが、原水爆禁止運動で始まるんだと。宮廷史とか、権力史とかいうことでなくて、こういう庶民の100円とかが世界史の方向を決めていくと」
ヒューマニズムを基調に幅広い市民が「原水爆禁止」で結びつき、そのうねりが初めての世界大会につながった。ただ、開幕前、藤居さんが重視する原爆被害者の問題はまだ十分な関心が寄せられてはいなかった。それでも「庶民」の被害者たちが心身に刻まれた苦しみや10年間の積もる思いを会場で語ると、大きな変化が生まれていく。(編集委員・水川恭輔)
(2025年3月16日朝刊掲載)
その10年前、米軍が広島、長崎に投下した原爆でおびただしい命が奪われた。49年にソ連、52年に英国が初の核実験。54年3月には米国が中部太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で未曽有の水爆実験をし、漁船の乗組員や周辺住民が被曝(ひばく)した。
大会は、ビキニ被災を機に広がった署名運動をまとめる東京の全国組織が運動の総括として開催を決めた。広島で署名を集めた市民が被爆10年も考慮して提案し、決定後は広島準備会を結成。原爆の被害者も加わった。
56年結成の日本被団協の初代事務局長に就く藤居平一さん(96年に80歳で死去)はこの時、準備会の一員として募金活動に尽力。原爆で父、妹を亡くし、戦後は民生委員を務めていた。後に、被爆者運動を研究する宇吹暁さんの聞き取り(81年の「まどうてくれ」)に、ある広島県北の児童から100円が届いたことをこう振り返った。
「世界史の書き換えが、原水爆禁止運動で始まるんだと。宮廷史とか、権力史とかいうことでなくて、こういう庶民の100円とかが世界史の方向を決めていくと」
ヒューマニズムを基調に幅広い市民が「原水爆禁止」で結びつき、そのうねりが初めての世界大会につながった。ただ、開幕前、藤居さんが重視する原爆被害者の問題はまだ十分な関心が寄せられてはいなかった。それでも「庶民」の被害者たちが心身に刻まれた苦しみや10年間の積もる思いを会場で語ると、大きな変化が生まれていく。(編集委員・水川恭輔)
(2025年3月16日朝刊掲載)