平和願い 鶴3000羽 94歳被爆者の中川さん 3年前から折り続け 広島来訪者へ贈る
25年3月15日
原爆で中学生の弟を失った被爆者の中川峰子さん(94)=広島市南区=が、平和への願いを込めた鶴を折り続けている。3年前に始めて3千羽を超えた。家族伝承者として活動する長男俊昭さん(74)=同=に託し、国内外から広島を訪れる人に渡している。(山下美波)
中川さんは市立第一高等女学校(市女、現舟入高)3年生だった1945年8月6日、爆心地から1・5キロの舟入本町(現中区)の自宅で被爆。頭に大けがを負いながら、建物疎開作業に出て行方不明になった広島二中(現観音高)1年の弟井尻智夫(のりお)さん=当時(12)=を、二つ上の姉浩子さんと一緒に捜した。
倒れている人の顔を確認しながら今の平和記念公園周辺や学校を歩き回り、7日に自宅近くの電車軌道敷で横たわる弟を見つけた。顔が腫れ、目は見えなかったが、そばに置かれた瓦に『二中 井尻』と書かれていて分かった。意識はあり、家屋の下敷きになったところを見知らぬ男性に助け出されたといい、「『大きくなったら米国をやっつけてくれ』と言われたそうです」
ただ、大八車を借りて近くの親類宅に運び込んだ後、「こま(小さい)姉ちゃん」などと家族全員の名前を呼んで9日、亡くなった。「きょうだい4人の中で一番賢くておとなしい良い子でした」。やはり建物疎開作業中に被爆した市女の1、2年生も全滅。中川さんは毎夏、犠牲者名が刻まれた二中と市女の慰霊碑に手を合わせ、弟や仲の良かった後輩の名前に触れてきた。
家族以外に体験を語らなかったが、2021年に別の被爆者の伝承者として活動を始めた俊昭さんの姿に刺激を受けた。講話や平和記念公園の碑巡りで配る鶴を折ったところ、受け取った人の反応を聞くのが楽しみになった。尾を引っ張ると羽ばたくように動き、今では多い日で30羽を折って個包装する。「思いを乗せた鶴が世界中に飛んでいると思っています」
2月下旬に碑巡りに参加したアニリー・ローシェイブさん(67)=米イリノイ州=は「第2次世界大戦中のドイツで弟を失った私の義母と重なった。孫にも渡したい」ともらった2羽を大事そうに見つめた。22年に家族伝承者にもなった俊昭さんは「母たち被爆者の思いを世界中に伝え続けたい」と話している。
(2025年3月15日朝刊掲載)
中川さんは市立第一高等女学校(市女、現舟入高)3年生だった1945年8月6日、爆心地から1・5キロの舟入本町(現中区)の自宅で被爆。頭に大けがを負いながら、建物疎開作業に出て行方不明になった広島二中(現観音高)1年の弟井尻智夫(のりお)さん=当時(12)=を、二つ上の姉浩子さんと一緒に捜した。
倒れている人の顔を確認しながら今の平和記念公園周辺や学校を歩き回り、7日に自宅近くの電車軌道敷で横たわる弟を見つけた。顔が腫れ、目は見えなかったが、そばに置かれた瓦に『二中 井尻』と書かれていて分かった。意識はあり、家屋の下敷きになったところを見知らぬ男性に助け出されたといい、「『大きくなったら米国をやっつけてくれ』と言われたそうです」
ただ、大八車を借りて近くの親類宅に運び込んだ後、「こま(小さい)姉ちゃん」などと家族全員の名前を呼んで9日、亡くなった。「きょうだい4人の中で一番賢くておとなしい良い子でした」。やはり建物疎開作業中に被爆した市女の1、2年生も全滅。中川さんは毎夏、犠牲者名が刻まれた二中と市女の慰霊碑に手を合わせ、弟や仲の良かった後輩の名前に触れてきた。
家族以外に体験を語らなかったが、2021年に別の被爆者の伝承者として活動を始めた俊昭さんの姿に刺激を受けた。講話や平和記念公園の碑巡りで配る鶴を折ったところ、受け取った人の反応を聞くのが楽しみになった。尾を引っ張ると羽ばたくように動き、今では多い日で30羽を折って個包装する。「思いを乗せた鶴が世界中に飛んでいると思っています」
2月下旬に碑巡りに参加したアニリー・ローシェイブさん(67)=米イリノイ州=は「第2次世界大戦中のドイツで弟を失った私の義母と重なった。孫にも渡したい」ともらった2羽を大事そうに見つめた。22年に家族伝承者にもなった俊昭さんは「母たち被爆者の思いを世界中に伝え続けたい」と話している。
(2025年3月15日朝刊掲載)