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[歩く 聞く 考える] 原爆アーカイブズ(文書館)の必要性 人類史的体験 継承するために 広島大原医研助教 久保田明子さん

 文字に書かれた原爆関連の資料を集めて保管する「原爆アーカイブズ(文書館)」が必要―。広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の久保田明子助教が訴え続けている。その理由や背景、原爆資料館をはじめ既存の関連施設との役割分担について聞いた。(特別論説委員・宮崎智三、写真・宮原滋)

 ―提唱されているアーカイブズは、どんなものですか。
 原爆資料館は、被爆者の持ち物や衣服といったモノ、つまり現物資料を中心に集めています。これに対し、アーカイブズは、原爆を立体的に理解するため、本や重要な関連文献、論文を書くための資料なども含めて文字資料を幅広く集めます。文書は資料館も収蔵していますが、スペースを考えると、これ以上集める余裕はないと思います。

 広島で何が起きたかを知るため、資料館は絶対に行かなければならない場所です。そこでまず原爆について知り、次に行く場所が欲しい。犠牲になった子どもたちの状況はどんなものか。子どもを亡くした親の手記を読みたい。そんなふうに、もう少し調べたい人が紙の資料を調べに行ける場所がアーカイブズです。

 ―被爆者の手記であれば、国立原爆死没者追悼平和祈念館が収蔵していますね。
 祈念館もスペースに限りがあります。広島市には公文書館もあり、行政文書を中心に、原爆が投下される前の歴史と投下後の両方を視野に入れていますが、やはり建物や人員には限界があります。原爆に特化したアーカイブズを別に設ける意義は大きいです。もちろん、既存施設との連携が必要です。

 ―被爆者も資料を残したいと考えているのでしょうか。
 最初は原爆について語ろうとしなかった被爆者も、年を重ねるにつれ、自身の体験を後世に残したいと考えるようになってきたと感じます。日記やメモ、手記など紙の資料を残そうとしても、十分な受け皿がありません。放っておくと、貴重な資料がどんどん捨てられてしまいます。

 ―原爆を専門とする紙資料の受け皿が必要なのですね。
 10年前、原医研に赴任して間もなく、米国での研究会に呼ばれて「広島にアーカイブズがない」と話したら、とても驚かれました。原爆という歴史的にすごいことが起きたのに、なぜないのか、と。

 ―欧米では、あって当たり前なのですか。
 そうです。中国や韓国などアジア諸国も熱心です。ノーベル平和賞の受賞演説で日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員がアーカイブズについても触れていました。田中さんが話したのは、被爆者運動が中心の資料ですが、私が考えているのは運動に関わっていない被爆者も含む資料です。

 広く知ってもらうため「アトミック・ボム(原爆)・アーカイブズ」の頭文字からABA構想と勝手に略称を付けて必要性を訴えています。

 ―構想の実現には場所や費用など課題がありますね。
 例えば旧陸軍被服支廠(ししょう)(南区)を活用する方法があると思います。スペースが広く、軍都から原爆に至るまで、広島の歴史を語ることができる場所でもあります。

 費用を考えると、市や県、政府の連携が必要です。被爆者の訴えが大事、記憶の継承が必要と言いながら後世に残すべき資料が守れないなら、広島は格好悪過ぎます。

 ―なぜ、これまでは、できなかったのでしょうか。
 日本学術会議や政府が設置を本格的に検討したことがあります。しかし実現はしませんでした。原爆を投下した米国に気を使ったのか、理由ははっきり分かりません。

 ―今年は、被爆80年の節目の年です。
 「被爆80年」だからこそできることがあると思います。多くの人と共にABAをつくって「ちゃんと人類史的体験の資料を残そうよ」と声を上げる年、市や県、政府が厚く支援してABAの本格的実現の一歩を踏む年にする。こうしたことこそ、過酷な「被爆」の中にいた、あるいは今もいる皆さんに、「あの日」から80年後の私たちが向き合えることではないでしょうか。

くぼた・あきこ
 1970年7月東京生まれ。学習院大大学院人文科学研究科博士後期課程修了。専門はアーカイブズ学。科学史資料、医学、物理学、原爆学術調査が主なテーマ。私立高校の地理歴史講師などを経て2015年7月から現職。原爆資料館の運営会議委員と資料調査研究会会員、広島市の公文書館運営委員も務める。政池明著「荒勝文策と原子核物理学の黎明(れいめい)」の一部執筆。

(2025年3月19日朝刊掲載)

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