原時彦さん死去 原民喜のおい
25年3月21日
広島市出身の被爆作家、原民喜(1905~51年)のおいで、民喜を顕彰する「広島花幻忌(かげんき)の会」顧問の原時彦(はら・ときひこ)さん=広島市南区=が12日、老衰のため広島市内の病院で亡くなっていたことが分かった。90歳。葬儀は15日に近親者で営んだ。
広島市上柳町(現中区)出身。原爆投下時は広島県北部へ疎開中だったため被爆は免れた。自宅は全焼し、半年間、八幡村(現佐伯区)で民喜と暮らした。民喜に遺書で著作権の継承を託され、被爆直後の惨状をつづった「原爆被災時の手帳」をはじめ、被爆作家の直筆資料の保存を訴えた。次世代につなぐため国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」登録や、広島市内での文学館の建設も目指していた。
(2025年3月21日朝刊掲載)
広島市上柳町(現中区)出身。原爆投下時は広島県北部へ疎開中だったため被爆は免れた。自宅は全焼し、半年間、八幡村(現佐伯区)で民喜と暮らした。民喜に遺書で著作権の継承を託され、被爆直後の惨状をつづった「原爆被災時の手帳」をはじめ、被爆作家の直筆資料の保存を訴えた。次世代につなぐため国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」登録や、広島市内での文学館の建設も目指していた。
(2025年3月21日朝刊掲載)