広島・長崎 原爆手記6419冊に 24年末時点 ヒロシマ通信研究会まとめ 続く聞き取り 子や孫も寄稿
25年3月24日
広島・長崎の「原爆手記」を収めた図書・雑誌が2024年末までに6419冊に上ることが、手記の書誌情報を調べウェブ発信するヒロシマ通信研究会のまとめで分かった。20年代に入り発行は大幅に減るが、証言の聞き書き、埋もれていた手記の採録、子や孫の寄稿が広がる。惨禍を記録し、消えぬ記憶を刻む手記を巡る流れや活用の展望を探る。(元特別編集委員・西本雅実)
研究会は、「原爆手記掲載図書・雑誌総目録」を広島大助教授だった1999年に著した宇吹暁さん(78)を代表とする市民グループ。同書でまとめられた被爆50年間の3677冊を基に、両被爆地の原爆資料館と国立原爆死没者追悼平和祈念館が入手したり、寄贈を受けたり、会員が見つけたりした私家版や機関誌を含めて調べている。
発行は46年から
原爆手記の発行は被爆の翌46年から続く。長崎へ動員された第七高(現鹿児島大)理科学生たちが2月に手記集「不知火」を、広島一中(現国泰寺高)生徒は8月に39人が書いた追悼文をガリ版刷りで「泉 みたまの前に捧(ささ)ぐる」として出した。
連合国軍総司令部(GHQ)の占領下にあっても、惨状のすさまじさ、家族や友を奪われた悲しみはつづられた。広島市は50年、市民から募った165編から18編を収めた「原爆体験記」を広島平和協会から出版した。
高度経済成長が続き「原爆の風化」が言われ始めた70年代になると手記の編さん発行は増す。被爆時の所属組織、居住する自治体、全国各地に広がる原爆被害者団体が担い手となり、戦後50年でもあった95年は年間最多の300冊をみた。
多様な体験 蓄積
今、被爆者健康手帳所持者は11万人を割り、平均年齢は85・58歳に(昨年3月末現在)。それでも手記は書かれ発行は途切れていない。
京都「被爆二世・三世の会」は、50人の体験を載せた「語り継ぐヒロシマ・ナガサキの心」<上巻>に続き2021年に<下巻>を出版。収録45人のうち33人は聞き書きし、既に故人の12人は残されていた手記を生かした。
市民団体「長崎の証言の会」は1969年から発行を手がける。最新の「証言2024 ナガサキ・ヒロシマの声」は、日本被団協がノーベル平和賞を受賞した24年12月に出た。広島市千田町(現中区)で姉と一緒に遭い、郷里の長崎へ戻り二重被爆となった相川国義さん(17年に84歳で死去)が書き残していた手記も収録する。
山口響編集長(48)は、「被爆者一人一人の体験や半生は多様であり、ひとまとめでは語れない。証言を会員がこれからも愚直に聞き取っていきたい」と言う。長崎大核兵器廃絶研究センター特定准教授も務める。
広島では、1964年創刊の手記集「木の葉のように焼かれて」が昨年で第58集をみた。広島市原爆被害者の会二世・三世部会は結成の2011年から証言を定期的に聞き、会報「つなぐ」に収める。会員の寄稿も載せ被爆80年を機に書籍発行する。
厚生労働省は25年度、30年ぶりに国内の全手帳所持者から手記を募る。広島の追悼平和祈念館を昨年から率いる漆原正浩館長は「人工知能(AI)の進化で自動翻訳も遠からず可能になる」とみて、手記の正確なテキスト化やオンライン発信にも力を注ぐ考えだ。
研究会は16年にサイト「ヒロシマ通信」を開設し現在、20年末までの6206冊の書名・著編者名・発行年月・所蔵先などを登載。データ検索や一括ダウンロードもできる。蓄積されてきた原爆手記に出会い読まれることを願うからだ。
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惨禍・被爆の影響 伝える資料
広島市立大平和研究所・四條知恵准教授の話
原爆手記は、惨禍や被爆の影響を知るうえで時を超えて伝える最も大きな資料群。今日聞けない被爆時に老壮青年だった人々の過酷な体験も浮かび上がる。聞き書きは両者のコミュニケーションから成り立つ。厚労省の体験記募集に家族が代筆する場合は、時間をかけて向き合う場にもしてほしい。
(2025年3月24日朝刊掲載)
研究会は、「原爆手記掲載図書・雑誌総目録」を広島大助教授だった1999年に著した宇吹暁さん(78)を代表とする市民グループ。同書でまとめられた被爆50年間の3677冊を基に、両被爆地の原爆資料館と国立原爆死没者追悼平和祈念館が入手したり、寄贈を受けたり、会員が見つけたりした私家版や機関誌を含めて調べている。
発行は46年から
原爆手記の発行は被爆の翌46年から続く。長崎へ動員された第七高(現鹿児島大)理科学生たちが2月に手記集「不知火」を、広島一中(現国泰寺高)生徒は8月に39人が書いた追悼文をガリ版刷りで「泉 みたまの前に捧(ささ)ぐる」として出した。
連合国軍総司令部(GHQ)の占領下にあっても、惨状のすさまじさ、家族や友を奪われた悲しみはつづられた。広島市は50年、市民から募った165編から18編を収めた「原爆体験記」を広島平和協会から出版した。
高度経済成長が続き「原爆の風化」が言われ始めた70年代になると手記の編さん発行は増す。被爆時の所属組織、居住する自治体、全国各地に広がる原爆被害者団体が担い手となり、戦後50年でもあった95年は年間最多の300冊をみた。
多様な体験 蓄積
今、被爆者健康手帳所持者は11万人を割り、平均年齢は85・58歳に(昨年3月末現在)。それでも手記は書かれ発行は途切れていない。
京都「被爆二世・三世の会」は、50人の体験を載せた「語り継ぐヒロシマ・ナガサキの心」<上巻>に続き2021年に<下巻>を出版。収録45人のうち33人は聞き書きし、既に故人の12人は残されていた手記を生かした。
市民団体「長崎の証言の会」は1969年から発行を手がける。最新の「証言2024 ナガサキ・ヒロシマの声」は、日本被団協がノーベル平和賞を受賞した24年12月に出た。広島市千田町(現中区)で姉と一緒に遭い、郷里の長崎へ戻り二重被爆となった相川国義さん(17年に84歳で死去)が書き残していた手記も収録する。
山口響編集長(48)は、「被爆者一人一人の体験や半生は多様であり、ひとまとめでは語れない。証言を会員がこれからも愚直に聞き取っていきたい」と言う。長崎大核兵器廃絶研究センター特定准教授も務める。
広島では、1964年創刊の手記集「木の葉のように焼かれて」が昨年で第58集をみた。広島市原爆被害者の会二世・三世部会は結成の2011年から証言を定期的に聞き、会報「つなぐ」に収める。会員の寄稿も載せ被爆80年を機に書籍発行する。
厚生労働省は25年度、30年ぶりに国内の全手帳所持者から手記を募る。広島の追悼平和祈念館を昨年から率いる漆原正浩館長は「人工知能(AI)の進化で自動翻訳も遠からず可能になる」とみて、手記の正確なテキスト化やオンライン発信にも力を注ぐ考えだ。
研究会は16年にサイト「ヒロシマ通信」を開設し現在、20年末までの6206冊の書名・著編者名・発行年月・所蔵先などを登載。データ検索や一括ダウンロードもできる。蓄積されてきた原爆手記に出会い読まれることを願うからだ。
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惨禍・被爆の影響 伝える資料
広島市立大平和研究所・四條知恵准教授の話
原爆手記は、惨禍や被爆の影響を知るうえで時を超えて伝える最も大きな資料群。今日聞けない被爆時に老壮青年だった人々の過酷な体験も浮かび上がる。聞き書きは両者のコミュニケーションから成り立つ。厚労省の体験記募集に家族が代筆する場合は、時間をかけて向き合う場にもしてほしい。
(2025年3月24日朝刊掲載)