×

社説・コラム

[知っとる? ヒロシマ調べ隊] 援護法求める運動の一つ

Q 「被爆者列車」という寝台列車が昔走ったの?

 「被爆者列車」は、被爆者援護法制定を求める運動の一形態です。公的機関の労働組合を主体とする総評系の18団体でつくる広島県中央上京団(宮崎安男団長)が1975年2月、被爆労働者や被爆2世たちを募って夜行列車で上京しました。

 当時、被爆者を援護する法律には原爆医療法と被爆者特別措置法がありました。被爆者たちは、原爆犠牲者への償いを含む国家補償に基づく援護法制定を求め、運動を続けていました。

 当時の中国新聞の記事などによると、参加者は2月25日夕に原爆慰霊碑で祈りをささげ、広島駅へ。約500人が列車に乗り込み、翌26日午前に東京入りしました。長崎をはじめ全国各地の被爆者とも合流し、援護法制定を国会議員らへ働きかけたほか、国会周辺での集会やデモ、首相官邸そばでの座り込みなどの行動で被爆者の実情を訴えました。同じ時期に日本被団協も援護法制定を求める「中央行動」を展開しており、側面からもり立てたようです。

 被爆2世として乗り込んだ木原省治さん(76)=広島市佐伯区=は「あの高揚感は今も鮮明に覚えている」と回想します。列車の窓には内側から「被爆者援護法制定要求」と書いた紙を張りました。「車両には寝台だけでなく、4人掛けの椅子席もあり夜通し熱く語り合った。あそこで国に償いを求める被爆者の思いなど『被爆者の哲学』とも言える精神を学んだ」と語ります。

 被爆教師として平和教育に尽くしてきた森下弘さん(94)=同=も「行ったからといってすぐ成果が得られるわけではなかったが、インパクトはあったと思う」と証言します。当時の手帳には「寝台で上京」「厚生省前でデモ」といった記述が残っています。勤め先の高校を休み、片道半日以上かかる夜行列車での移動でしたが、「それだけ切実な思いがあった」と振り返っていました。(森田裕美)

(2025年3月31日朝刊掲載)

年別アーカイブ