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[戦後80年 遺構を巡る 芸南賀茂] ダイクレ呉第二工場(呉市昭和町) れんが壁に無数の弾痕

 米軍機の機銃掃射の痕跡の残る建物が、現在も亜鉛メッキ工場として稼働している。呉市昭和町のダイクレ呉第二工場だ。日露戦争が始まる前年の1903(明治36)年、兵器を製造する旧海軍の「造兵廠第九工場」として建てられた。

 鉄骨造だが、外壁をれんがで囲み、実用性と見栄えを両立させようとした。幅約46メートル▽奥行き約153メートル▽高さ約20メートル▽建築面積は約7千平方メートル―。入り口は御影石でアーチ状に縁取られ、三角の屋根が三つ連なる外観が特徴的だ。

 華やかながら重厚感のあるこの工場は45年の終戦間際、他の旧海軍工廠(こうしょう)の建物と同様に米軍の標的となった。低空で飛行する戦闘機の機銃掃射は、壁面のれんがをえぐるように砕いた。

 大和ミュージアム(呉市)の花岡拓郎学芸員によると、建物は見栄えを重視した明治期特有の構造。その建物上空を米軍機はいったん通過し、反転して攻撃したとの証言が残り、特に北側と東側の壁面に弾痕が多いという。

 現在のメッキ工場では100人ほどが働いている。ダイクレの山本貴社長は「歴史的価値のある建造物でものづくりをしていることの意義を改めて考え、平和への思いを新たにしている」と話す。(小林旦地)

(2025年3月29日朝刊掲載)

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