[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1959年6月 後障害研究会
25年4月1日
効果的治療法 解明図る
1959年6月13日。第1回原子爆弾後障害研究会が、広島市の平和記念館(現中区)で2日間の日程で始まった。地元医師たちでつくる広島原爆障害対策協議会(広島原対協)、市、広島県が主催。全国の医師や研究者たち約300人が、発表や意見交換をした。
症状など分析
爆風、熱線、放射線が複合的に被害を及ぼす原爆特有の医学的影響を、異なる分野の専門家が共に考える「総合的な研究会」(当時の本紙記事)。被爆者に目立つ症状や原因の分析に加え、効果的な治療法の解明が目的だった。
初日午前は地元の外科医、原田東岷(とうみん)さんが講演し、被爆者のやけどの痕が盛り上がるケロイドの治療について話した。一般的なやけどのケロイドに比べ植皮手術後の再発率が高いとし、「原爆の特異な作用に因(よ)ると考えられる」と報告した。
46年3月に復員し、11月に広瀬町(現中区)で開院した。軍医の経験や海外の学術書を頼りにケロイドやひきつれがある患者を治療。48年に、有志の開業医たちで被爆者医療の勉強会「土曜会」を始めた。55年には被爆した女性25人とともに渡米し、現地の病院で治療を受ける支援をした。
長男義弘さん(88)=中区=は米国での治療後も父を頼って通院する女性たちの姿を覚えている。「生涯で千例以上の手術を受け持ったと聞いています」。後障害研究会での特別講演も、この時までの「約150人に就(つい)て290回」(以下、講演記録)の手術や経過観察が基になった。
同じく土曜会に参加する地元医師の於保(おほ)源作さんも初日に登壇した。56年に「被爆者のがん死亡率は全国平均を上回る」との論文を初めて医学誌に発表していた。同種の研究の先駆けで、市が51~55年に受理した死亡診断書約1万1400枚を洗い直し、遺族や医療機関からも情報を集めて調べた。
「まず同情の心」
この日は、がん死亡率の高さを改めて統計的に説明。原爆放射線は「将来に悪性新生物を発生させる不明の素因を賦与する」と指摘し、「今更ながら原水爆放射能並びにそれに派生する死の灰の恐怖に只々(ただただ)慄然(りつぜん)たらざるを得ない」と伝えた。
研究会には、長崎で被爆者治療などに携わる長崎大医学部の調(しらべ)来助・教授たちも参加した。放射線医学の専門家で被爆間もない広島で医学的調査の中心を担った都築正男・東大名誉教授も講演し、今後の調査に関し「原爆被爆者の方々は永い間あまりにもいためられ、さなきだに不安な日常に明け暮れている。よろしく、まず同情の心をもっていたわってあげなければなるまい」と呼びかけた。
研究会会長の渡辺漸・広島大医学部教授は閉会式で「後障害については絶えず勉強していかねばならず、明年はみんなが協力して第2回研究会を開きたい」とあいさつ。翌年は長崎であり、その後も両被爆地で交互に開かれた。原爆の医学的影響はなおも未解明な点が残る中、今年は広島で65回目がある。(編集委員・水川恭輔、山本真帆)
(2025年4月1日朝刊掲載)