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[戦後80年 芸南賀茂] 墜落死した米兵を追悼 倉橋島で慰霊祭 米軍関係者招く

 戦時中に呉市の倉橋島に墜落して亡くなった米軍爆撃機の搭乗員の慰霊祭が3日、同市倉橋町の丸子山の慰霊碑前であった。碑は終戦7年後、近くの住民が「戦争が終われば敵味方もない」と建立した。その思いを受け継ぎ、管理する近くの藤脇自治会(音戸町)は、慰霊祭に初めて米軍関係者を招き、平和の交流を次世代につなげたいと誓った。(小林旦地)

 「米空軍勇士之碑」と刻まれた高さ約1・5メートルの石製の十字架前。地元の住民や小学生たち約40人と、米軍岩国基地(岩国市)の関係者約30人が集まり、日米両国の国歌を歌い、読経した。米海兵隊のマシュー・フォーシー少佐は「犠牲者を忘れないことが重要。慰霊碑を管理してくれて感謝している」と述べ、藤脇自治会の中川孝三会長(76)に感謝状を手渡した。

 石碑は1952年、藤脇区の古川嘉蔵区長が建立した。長男を異国の戦地で亡くし「米国人にも家族がいたはず。敵味方は関係ない」と話していたという。石碑の記録などによると、旧日本海軍の軍艦を狙った空襲があった45年7月24日に、米軍機1機が音戸町の民家に墜落し、住民4人が犠牲になった。民家の焼け跡からは黒焦げの搭乗員1人が見つかった。

 調査に訪れた戦史研究家が岩国基地に橋渡しし、戦後80年の慰霊式への米軍関係者の招待につながった。中川会長は「多くの米軍関係者が来てくれた。搭乗員のご遺族を捜し、平和のための交流を若い世代にもつなげたい」と願った。

(2025年4月4日朝刊掲載)

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