[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1960年9月 進む復興 惨禍刻むドーム
25年4月7日
1960年9月。呉市出身の写真家の明田弘司さん(2015年に92歳で死去)は、広島市の広島商工会議所(現中区)の屋上から被爆15年の街にカメラを向けた。復員後の48年に市内で写真店を開き、再建が進む様子をカメラで記録していた。
平和記念公園は、バラックの立ち退きなどを経て緑地が目立つように。会議所東側に57年に完成した市民球場は、広島カープの本拠地として活気を生んだ。「平和都市」が形づくられていく中で、原爆ドームはあの日の惨禍を伝え続けていた。幼くして原爆に苦難を強いられた子どもは、青年期を迎えていた。(山下美波)
(2025年4月7日朝刊掲載)
平和記念公園は、バラックの立ち退きなどを経て緑地が目立つように。会議所東側に57年に完成した市民球場は、広島カープの本拠地として活気を生んだ。「平和都市」が形づくられていく中で、原爆ドームはあの日の惨禍を伝え続けていた。幼くして原爆に苦難を強いられた子どもは、青年期を迎えていた。(山下美波)
(2025年4月7日朝刊掲載)