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[戦後80年 遺構を巡る 芸南賀茂] 仏様の防空壕(東広島市安芸津町) 「敵機来襲」 壁に文字刻む

 カキいかだが浮かぶ三津湾を望む高台。東広島市安芸津町の正福寺の医王殿裏の斜面を上ると、赤れんがとコンクリートで造られた壕(ごう)が現れる。入り口に鉄の扉。中は、大人が数人立って楽に身を隠せそうな広さがある。1945年5月、医王殿の薬師如来像を戦火から守ろうと、信徒たちの寄進で造られたという。

 「ありがたいこと。ただ、壁に彫られた文章からは当時の戦況悪化と住民の不安を感じ取れる」。17代目住職神原(かんばら)正英さん(62)が話す。壕内の壁に、携わった人たちの名前と共に次のような文章があるからだ。「戦局ノ危急間一髪ニ迫リ敵機ノ来襲愈々(いよいよ)加ル」

 「敵機ノ来襲」は太平洋戦争末期の呉空襲だという。最初の襲来の45年3月19日、安芸津上空を通り過ぎる爆撃機の隊列を多くの住民が目撃した。直後の呉の被害を知り「次は安芸津」と感じたのかもしれない。25年ごとに開帳される秘仏の木像を守るため、くわを振るって壕をこしらえ、台座を据えた。

 程なく終戦を迎え、仏様がその台座に逃れることはなかった。神原さんは近年、壁の文字を起こして紙にまとめるなど、地域の歴史を見つめ直す。「関心を寄せて訪れる人に少しでもお話しできるよう、私が学ばせてもらっている」(教蓮孝匡)

(2025年4月5日朝刊掲載)

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