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連載・特集

広島と映画 <9> 映画プロデューサー 紀伊宗之さん 「がんばっていきまっしょい」 監督 磯村一路(1998年公開)

手弁当で上映 自信の源に

 批評家的に見て「優れた映画」はたくさんある。でも「好きな映画」は記憶の産物だろう。「あなたの一番好きな映画は」と問われれば、「がんばっていきまっしょい」と答える。松山市の松山東高ボート部をモデルにした青春映画だ。

 1995年に東映の興行会社に入社した僕は、当時の広島東映に赴任して3、4年目だった。東映の配給なのに、広島では上映予定がない。この映画をやりたいという気持ちが湧き上がった。上司の支配人に「絶対に客を入れてみせる。どうしてもやらせてほしい」と頼み込み、レイトショー枠でかけさせてもらった。

 初めは孤軍奮闘だった。今のようにメールもない時代だから、広島で知り合った人に片っ端から手紙を書いて試写状を送りまくった。やがて「俺、松山東高OBなんだ」「手伝ってやるよ」といった応援の声が集まり、手応えが出てきた。東京の本社にお願いして、主演の田中麗奈さんがキャンペーンで来てくれることになったものの、宣伝費がないから友人の実家のお好み焼き店へ連れて行った。まさに手弁当。おかげで口コミも広がり、広島は東京の次に多くの客が入った。自分から言い出し、行動し、結果を残せた。「この世界でやっていけるかもしれない」。初めて思えた経験だった。

 実は布石があった。「紀伊なあ、5年間も仕事して、たかだか人口100万人の広島で端から端まで声が届かんようなら、この商売やめた方がええで」。広島朝日会館という劇場にいた兄貴分のような存在の支配人の言葉だった。要するに「やりたいことをやるための味方も、度胸も、勇気もないのなら、この仕事は向いてないよ」ということ。「なるほどな」と腹に落ち、「よし勝負したる」と決意した。これが映画を届けるディストリビューターとしての原体験となり、1人の情熱さえあれば、どんな局面でも変えられるという覚悟の原体験になっている。

 この仕事をしていると「人がいない」「金がない」と言い訳する人は多い。でもそれは違う。僕にとっては、広島で向き合った100万人が、国内の1億2千万人になり、今は世界の80億人になっているだけだ。同じ情熱を持った仲間があと何人いれば、その壁を越えることができるだろうか。そんなふうに考えてみる。

 広島はいつも僕に気付きと自信をくれた。広島バルト11の開業の折には支配人として戻ってこられた。東宝さんとの共同事業である当該劇場でも結果を出せた。その後、東京で配給や宣伝を経験し、映画のプロデューサーとして、広島、呉でのオールロケとなった「孤狼(ころう)の血」でも映画界にインパクトを残せたのではないかなと思っている。  上手の始まりはいつも広島。いつも感謝している。あ、ちなみに奥さんも広島の人です。

きい・むねゆき
 1970年、兵庫県西宮市生まれ。広島バルト11の初代支配人。「孤狼の血」シリーズ、「キリエのうた」「シン・仮面ライダー」「リボルバー・リリー」「十一人の賊軍」などの話題作を企画・プロデュース。2023年に東映から独立し、K2ピクチャーズ設立。最高経営責任者(CEO)を務める。

はと
 1981年、大竹市生まれ。本名秦景子。絵画、グラフィックデザイン、こま撮りアニメーション、舞台美術など幅広い造形芸術を手がける。

作品データ
日本/120分/フジテレビジョン、ポニーキャニオン、アルタミラピクチャーズ
【原作】敷村良子【脚本】磯村一路【撮影】長田勇市【照明】豊見山明長【美術】磯田典宏【録音】郡弘道【編集】菊池純一
【出演】真野きりな、清水真実、葵若菜、久積絵夢、松尾政寿、白竜、森山良子、中嶋朋子、大杉漣

(2025年3月22日朝刊掲載)

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