峠三吉 晩年の直筆手紙 「勉強して、伸びておゆきなさい」 交流の青年励ます
25年4月9日
柳井の民家で発見
原爆詩人峠三吉(1917~53年)が、亡くなる4カ月前の52年11月、詩の交流があった青年を励ますために送った直筆の手紙が、柳井市の民家で見つかった。死期が迫っていたが、「どうか勉強するなら勉強して、伸びておゆきなさい」と激励。専門家は「優しい人柄が伝わる貴重な資料」とみる。(川村奈菜)
「君の、人生に対する誠実さはいいものでした。(中略)自分の考へ、自分の判断に従って進んでゆき、倒れたら又立ち上って進んでゆくのです」。原稿用紙3枚の表裏計6枚にびっしりとつづられている。文末の11月5日が書き上げた日とみられる。手紙の「君」は、峠が結成した文学サークル「われらの詩(うた)の会」に参加していたとみられる大崎正昭さん(2002年、72歳で死去)だ。
大崎さんは峠より13歳若い。旧広島県本郷町(現三原市)出身。国鉄勤務の傍ら、詩作に励んだ。20歳ごろ、峠主宰の詩誌「われらの詩」に大崎さんの名で作品が載った。21歳ごろ、大崎さんが作った自身の年表には「われらの歌 事ム局員となる」と手書きされている(「われらの歌」は原文のまま)。
峠の手紙には、「岡山から送って来た」という別の国鉄青年の詩や、峠が最後の入院で病室に張っていたというロシアの作家オストロフスキーの言葉の引用も。手紙の結語は「どうか御元気で、勇気をもってしっかり生きていって下さい。さよなら」だった。
受け取った大崎さんは「この手紙は一生涯 心にたたみこんでおこう」と、年表に書き付けた。
大崎さんの長男成治さん(65)=大竹市=が、今は空き家である柳井市の実家で捜して3月、正昭さんの書斎で見つけた。成治さんは、正昭さんが「峠さんからの手紙、どこにやったかいの」と言っていたのが気になっていた。「峠さんからのこれほどの温かい手紙。父の宝物だったのでは」と推し量る。
峠の資料に詳しい市民団体「広島文学資料保全の会」の池田正彦事務局長(78)は「この時期の資料は散逸しがちで、現存は珍しい。大崎さんが大切な存在だったことも伝わってくる」としている。
(2025年4月9日朝刊掲載)