×

連載・特集

緑地帯 わが隣人民喜 片山典子 <2>

 原民喜は、広島市中区幟町に生まれ、青少年期をこの地で過ごした。19歳で上京した後は関東で文学活動を繰り広げたが、妻を失った翌年の1945年1月に疎開のため帰郷し、被爆した。

 川岸から泉邸(縮景園)を経由して東照宮に避難、野宿した参道のほとりで小さな手帳に惨状を記し、それを基に「夏の花」を書いた。

 幟町とは隣りあわせの橋本町(旧町名、上柳町)で私は育った。民喜はいわば「お隣さん」。なじみの深い作家だ。しかし、早くから関心を持っていたかというと、そうでもない。初めて新潮文庫の「夏の花」を読んだのは、高校生のころだった。原民喜に関する知識は無かった。偶然書店で手に取り、抱き合わせに収録されていた「鎮魂歌」、「心願の国」等々の、散文詩めいた美しい文体が気に入って購入したのだ。

 繊細で甘美、切ない叙情の文章に魅せられた記憶がある。だが、「夏の花」3部作については、浅く読み飛ばしてしまったような気がする。わが家は父方も母方も、一族郎党そろって被爆者である。親類縁者や祖父母からは、事あるごとに「ピカドン」の話を聞かされていた。それは、子供心には、ひたすら恐ろしい話であったから、「そのことが書かれた文章」を、こちらから求めてまで読みたい気にはならなかったのだろう。

 当時は脈絡なき乱読時代。結局、高校生のころの私は、この1冊を、各駅停車の旅のひと駅のように通り過ぎてしまったのだった。この作品の内包する言葉の重み、さりげなく優しいまなざしに気付いたのは、それから十数年たってからのことである。(広島花幻忌の会会員=広島市)

(2009年12月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ