緑地帯 わが隣人民喜 片山典子 <6>
09年12月23日
「彼の家は川端にはなかったが、彼の生まれた街には川が流れていた。彼の記憶にも川が流れていた」。原民喜が、関東で過ごしていたころの作品からの一部。故郷を離れていた時も、彼の心に常によみがえっていたのは、幼き日を過ごした広島の街と川だ。
らっぱを鳴らしながら、馬車が京橋からやってくる。川は透明な水の底に、まっ白い砂を見せる。そこには元気よく動くエビがおり、シジミ貝も生きている。民喜は、「蝦獲り」など戦前の作品に、牧歌的な街の様子を細密に描写している。白い砂と、透き通った水の川がある街の風景。民喜が幼年期を過ごしたかいわいに住んでいた人々から話を聞いたときも、同じ風景が浮かび上がってきた。
「陸軍の軍人さんは、偉うなったら別当が馬を引いてお迎えにくる。海軍さんは自動車がくるんじゃ」「夏にゃ、よお川へ泳ぎに行ってのお。京橋やら市電の鉄橋から飛び込みよった」「ほうよ、シジミやハゼも食べよったよねえ」。戦前の街の思い出は、民喜作品を読む上で、何にも代えがたい道先案内になる。
民喜は、軍都として繁栄してきた広島の歴史を、痛ましいものとして認識していた。だが、「幼年の私の目に残っている広島は、必ずしも残酷なものではなかった」「夢のように平和な景色があったものだ」。幼年時代の広島の姿はどこまでも甘美だ。
繊細な感受性をはぐくんだ、広島の美しい街と川。その透明な川の底に、苦悶(くもん)の人々の影を見てしまった心の傷。二律背反の記憶を共存させながら、彼は「夏の花」を書いた。作品の重厚さは、喪失した故郷の記憶の重みでもある。(広島花幻忌の会会員=広島市)
(2009年12月23日朝刊掲載)
らっぱを鳴らしながら、馬車が京橋からやってくる。川は透明な水の底に、まっ白い砂を見せる。そこには元気よく動くエビがおり、シジミ貝も生きている。民喜は、「蝦獲り」など戦前の作品に、牧歌的な街の様子を細密に描写している。白い砂と、透き通った水の川がある街の風景。民喜が幼年期を過ごしたかいわいに住んでいた人々から話を聞いたときも、同じ風景が浮かび上がってきた。
「陸軍の軍人さんは、偉うなったら別当が馬を引いてお迎えにくる。海軍さんは自動車がくるんじゃ」「夏にゃ、よお川へ泳ぎに行ってのお。京橋やら市電の鉄橋から飛び込みよった」「ほうよ、シジミやハゼも食べよったよねえ」。戦前の街の思い出は、民喜作品を読む上で、何にも代えがたい道先案内になる。
民喜は、軍都として繁栄してきた広島の歴史を、痛ましいものとして認識していた。だが、「幼年の私の目に残っている広島は、必ずしも残酷なものではなかった」「夢のように平和な景色があったものだ」。幼年時代の広島の姿はどこまでも甘美だ。
繊細な感受性をはぐくんだ、広島の美しい街と川。その透明な川の底に、苦悶(くもん)の人々の影を見てしまった心の傷。二律背反の記憶を共存させながら、彼は「夏の花」を書いた。作品の重厚さは、喪失した故郷の記憶の重みでもある。(広島花幻忌の会会員=広島市)
(2009年12月23日朝刊掲載)