緑地帯 わが隣人民喜 片山典子 <7>
09年12月24日
喪失した故郷の記憶の痛みに耐え、あの日の惨状を書き残した原民喜。この上なく純粋で繊細な魂を持つ彼が、地獄のような惨状を作品化する。それを可能にしたのは、「天ノ命ナランカ」という、使命感だったろう。同時に、1年前に亡くなった妻への愛と祈りが、透徹したリアリズムの底流をなしている。
「夏の花」の冒頭には、原爆の2日前、亡き妻に花を供え、線香の香りの中で墓石に水をうつ「私」の姿が置かれている。人間的な死を弔う「私」の行為が、「人間的なものが抹殺され」た死と対極的に響きあう。だが、悲惨な状況を伝えながらも、作品の中で描かれている死者の姿は不思議に静かで透明な余韻を残す。
「このように慌ただしい無造作な死が、『死』といえるのだろうか」という、激しい叫びの反語でもあるかのような死の光景。それは、亡き妻に対する鎮魂の思いが、図らずして広島の死者たちに投影されたもののようだ。結局、彼は愛妻を悼む心を、広島の死者たちに重ね合わせることによって初めて、その死を描ききることができたのではないかと思う。
3部作として初めて「夏の花」が単行本として刊行された時、彼は題名の次ページに、扉の言葉として、小さく旧約聖書の雅歌最終章を添えている。「わが愛する者よ請ふ急ぎはしれ 香はしき山々の中にありて 獐(しか)のごとく小鹿のごとくあれ」。愛する者への呼びかけの言葉だ。
彼は、死者たちへの献花として作品をささげ、その執筆を支えてくれた妻の愛への献辞(オマージュ)として、雅歌を添えた。つつましい祈りと優しいまなざしが、そこにはある。(広島花幻忌の会会員=広島市)
(2009年12月24日朝刊掲載)
「夏の花」の冒頭には、原爆の2日前、亡き妻に花を供え、線香の香りの中で墓石に水をうつ「私」の姿が置かれている。人間的な死を弔う「私」の行為が、「人間的なものが抹殺され」た死と対極的に響きあう。だが、悲惨な状況を伝えながらも、作品の中で描かれている死者の姿は不思議に静かで透明な余韻を残す。
「このように慌ただしい無造作な死が、『死』といえるのだろうか」という、激しい叫びの反語でもあるかのような死の光景。それは、亡き妻に対する鎮魂の思いが、図らずして広島の死者たちに投影されたもののようだ。結局、彼は愛妻を悼む心を、広島の死者たちに重ね合わせることによって初めて、その死を描ききることができたのではないかと思う。
3部作として初めて「夏の花」が単行本として刊行された時、彼は題名の次ページに、扉の言葉として、小さく旧約聖書の雅歌最終章を添えている。「わが愛する者よ請ふ急ぎはしれ 香はしき山々の中にありて 獐(しか)のごとく小鹿のごとくあれ」。愛する者への呼びかけの言葉だ。
彼は、死者たちへの献花として作品をささげ、その執筆を支えてくれた妻の愛への献辞(オマージュ)として、雅歌を添えた。つつましい祈りと優しいまなざしが、そこにはある。(広島花幻忌の会会員=広島市)
(2009年12月24日朝刊掲載)