[ヒロシマドキュメント 1946年] 4月10日 戦後初の衆院選投票
25年4月10日
1946年4月10日。戦後初の衆院選の投票日を迎えた。全国では定数466に対し、2770人が立つ混戦。広島県でも、全県選挙区の12議席を50人で争った。
選挙法の改正で女性が参政権を持ち、選挙権年齢が男女とも20歳以上に引き下げられた初の選挙。10日付本紙は「けふの一票・日本を咲かす」の大見出しで投票を呼びかけた。
原爆被害の爪痕が深い広島市でも、市報によれば、学校や寺など30カ所の投票所が準備された。「火傷の跡が生々しく残ってゐる人、不自由な足を杖(つえ)に託してひょろひょろと歩いて来る人、戦災地広島のあまりにもいたましい姿ではあるが、それらの人の眼にはこの一票に託した大きな希望があり輝きがある」(11日付本紙)。白島投票所には託児所もあった。
広島県、広島市の各選管によると、県内の有権者数は99万5676人で、市は7万6913人。45年11月1日の人口調査を経て選挙人名簿を作ったが、登録漏れも相次いでいた。一方で、一部の市町村では投票所の混雑対策で、入場券を配るケースもあった。
本紙は公示後の3月15日から、女性や青年に選挙知識を広めようと「選挙教室」を連載。投票の手順を説明し、同姓、同名の候補者がいる場合もあり、名前を全て書くよう勧めた。金銭、物品の授受を伴う投票依頼は買収罪に当たるとして、注意するよう呼びかけた。
当時は、有権者が複数の候補者に投票できる連記制。広島県では、無所属新人の平川篤雄氏がトップ当選した。県内の当選者の党派別の内訳は、自由党3人▽進歩党1人▽社会党3人▽協同民主2人▽無所属3人。投票率は74・29%だった。広島の武田キヨ氏を含む39人の女性議員が全国で誕生した。(山本真帆)
(2025年4月10日朝刊掲載)
選挙法の改正で女性が参政権を持ち、選挙権年齢が男女とも20歳以上に引き下げられた初の選挙。10日付本紙は「けふの一票・日本を咲かす」の大見出しで投票を呼びかけた。
原爆被害の爪痕が深い広島市でも、市報によれば、学校や寺など30カ所の投票所が準備された。「火傷の跡が生々しく残ってゐる人、不自由な足を杖(つえ)に託してひょろひょろと歩いて来る人、戦災地広島のあまりにもいたましい姿ではあるが、それらの人の眼にはこの一票に託した大きな希望があり輝きがある」(11日付本紙)。白島投票所には託児所もあった。
広島県、広島市の各選管によると、県内の有権者数は99万5676人で、市は7万6913人。45年11月1日の人口調査を経て選挙人名簿を作ったが、登録漏れも相次いでいた。一方で、一部の市町村では投票所の混雑対策で、入場券を配るケースもあった。
本紙は公示後の3月15日から、女性や青年に選挙知識を広めようと「選挙教室」を連載。投票の手順を説明し、同姓、同名の候補者がいる場合もあり、名前を全て書くよう勧めた。金銭、物品の授受を伴う投票依頼は買収罪に当たるとして、注意するよう呼びかけた。
当時は、有権者が複数の候補者に投票できる連記制。広島県では、無所属新人の平川篤雄氏がトップ当選した。県内の当選者の党派別の内訳は、自由党3人▽進歩党1人▽社会党3人▽協同民主2人▽無所属3人。投票率は74・29%だった。広島の武田キヨ氏を含む39人の女性議員が全国で誕生した。(山本真帆)
(2025年4月10日朝刊掲載)