東日本大震災 どう継承 ヒロシマの取り組み学ぶ 宮城県閖上地区の住民
25年4月15日
東日本大震災で700人以上が犠牲になった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の住民たちが、広島市中区の原爆資料館などを訪れた。地元では震災の伝承館「閖上の記憶」を運営。時間の経過とともに記憶の継承の難しさに直面しており、被爆地広島の取り組みからヒントを探った。
閖上の記憶は2012年に設置され、プレハブ小屋で震災前後の閖上地区の写真や犠牲になった中学生の遺品などを展示。被災した住民たちが家族を亡くした胸の内を語るなど継承活動を続けてきた。
代表の丹野祐子さん(56)は、当時閖上中1年だった長男公太さんを津波で失った。語り継ぐ活動をする一方で、記憶の風化や体験者の高齢化などの課題を実感。「当たり前の日常を失うことや、命の尊さをどう伝えられるかを学びたい」と広島を訪れることにしたという。
閖上の記憶のメンバーたち約20人が広島市中区の平和記念公園を訪れたのは9、10の両日。被爆体験伝承者の証言を聞き、NPO法人ピース・カルチャー・ビレッジの広島大4年田中美月さん(22)の案内で一帯を歩いた。丹野さんは「若い人も自分の言葉でガイドしてくれた。これからの活動の参考になった」と話していた。(宮原滋)
(2025年4月15日朝刊掲載)
閖上の記憶は2012年に設置され、プレハブ小屋で震災前後の閖上地区の写真や犠牲になった中学生の遺品などを展示。被災した住民たちが家族を亡くした胸の内を語るなど継承活動を続けてきた。
代表の丹野祐子さん(56)は、当時閖上中1年だった長男公太さんを津波で失った。語り継ぐ活動をする一方で、記憶の風化や体験者の高齢化などの課題を実感。「当たり前の日常を失うことや、命の尊さをどう伝えられるかを学びたい」と広島を訪れることにしたという。
閖上の記憶のメンバーたち約20人が広島市中区の平和記念公園を訪れたのは9、10の両日。被爆体験伝承者の証言を聞き、NPO法人ピース・カルチャー・ビレッジの広島大4年田中美月さん(22)の案内で一帯を歩いた。丹野さんは「若い人も自分の言葉でガイドしてくれた。これからの活動の参考になった」と話していた。(宮原滋)
(2025年4月15日朝刊掲載)