5月3日のひろしまフラワーフェスティバルで ジュニアライターが朗読する詩
25年4月28日
げんしばくだん 比治山小3年 坂本はつみ
げんしばくだんがおちると
ひるがよるになって
人はおばけになる
an atomic bomb
when an atomic bomb falls
day becomes night
and people become ghosts
無題 南観音小5年 佐藤智子
よしこちゃんが
やけどで
ねていて
とまとが
たべたいというので
お母ちゃんが
かい出しに
いっている間に
よしこちゃんは
死んでいた
いもばっかしたべさせて
ころしちゃったねと
お母ちゃんは
ないた
わたしも
ないた
みんなも
ないた
弟 舟入小5年 栗栖英雄
いたといたの中に
はさまっている弟、
うなっている。
弟は、僕に
水 水といった。
ぼくは、くずれている家の中に、
はいるのは、いやといった。
弟は、
だまって
そのまま死んでいった。
あの時
僕は
水をくんでやればよかった。
無題 宮内小5年 田尾絹江
げんしばくだんがおちたあと
おかあちゃんが
だいじにのけといた米をたきながら
せんそうをして
なにがおもしろいんだろう
といって、
たかしや たかしや
まめでかえってくれと
いってなきながら
おむすびをつくる。
無題 南観音小6年 増西正雄
つみきをつんで
ようちえんで
遊んでいると
げんばくが落ちて
てんじょうが落ちて
よっちゃんは死んだ
ぼくは
頭に
けがをした
己斐の山に
ようちえんの
先生と
にげて見ると
むこうの山は
燃えていた
みんななにもいいませんでした
先生のやけど 仁保小2年 かくたに のぶこ
わたしのバレーの先生のくびに
ピカドンのやけどがあります。
わたしはかわいそうね、とおもいました。
おどっていると
手のほうにもやけどがありました。
あつかっただろうとおもいます。
やけあとで 比治山小6年 水川スミエ
目の見えなくなった母親が
死んでいる子どもをだいて
見えない目に
一ぱい涙をためて泣いていた
おさないころ
母に手をひかれてみたこの光景が
あの時のおそろしさとともに
頭からはなれない
無題 南観音小5年 香川征雄
よしお兄ちゃんが
げんばくで
死んだあくる日
おかあちゃんが
まい日 まい日
さがしたが
きものも
かばんも
べんとうばこも
骨も
なかった
おかあちゃんは
よしお
なぜ死んだのと
ないて
ないた
ぼくは
げんしばくだん
だいきらいだ
とうとう帰って来ない 鈴峯女子中1年 徳沢尊子
「お姉さん お姉さん」
まっても まっても
夜まで まっても帰らない。
次の日も
その次の日も帰って来ない。
八月六日の朝
出て行く時に元気な声で
「たか坊 いってくるよ」
といったが
どこへ行ったのか帰っては来ない
それから
七年たったが
まだ帰ってこない。
おとうちゃん 本川小3年 柿田佳子
にぎやかな広しまの町
そこでしんだ、おとうちゃん
げんばくの雲にのっていったおとうちゃん
おしろのとこでしんだ、おとうちゃん
わたしの小さいときわかれたおとうちゃん
かおもしらないおとうちゃん
一どでもいい、ゆめにでもあってみたいおとうちゃん
おとうちゃんとよんでみたい、さばってみたい
せんそうがなかったら、おとうちゃんはしななかったろう
もとのお家にいるだろう
にいちゃんのほしがるじてんしゃも
かってあるだろう
育てよう、何度でも咲く平和の花を 中国新聞ジュニアライター
平和の種の土づくりは、
自分自身が知ることだ
初めて 原爆資料館にいったとき
怖かった 震えた 涙が出た
これが ほんとに 広島?
焼け野原になって 何も無くなっていた
破れた制服 ガラスの刺さった体
今 緑あふれる広島からは 想像できなかった
被爆者は あの日の体験を 忘れることはない
私たちも 忘れてはいけない
世界の悲しい出来事も、友達のことも、
知らないと何も始まらない
平和の種の種まきは、
共に考え声を上げる仲間をつくることだ
知らなかったことと出会い、世界が広がる
今も無差別に傷付けられている命がある
人は自分と繋がりのない人が戦争で死んでも
戦争だからと丸め込む
だがそれが自分や自分の家族になったらどうだろう
私たちは、未来の目撃者
だからこそ、声を上げ続けたい
そして、平和の種を育てる当事者
この小さな種が、いつか
世界中に笑顔の花を咲かせると信じて
平和の種の水やりは、
思いやることだ
家族みんなで食べる、あったかいごはん
友達としょうもない話で笑い合う、学校の休憩時間
毎朝登校の見守りをしてくれているおじちゃんと
かわす挨拶
何気ない日々の中にある
人のやさしさを大切に
言葉は、時に鋭い刃となるけれど
温かい励ましや共感は
平和を育む栄養となる
私が笑顔だと、隣の人も笑顔になれる
その連鎖で、大きな笑顔の輪ができる
茎をのばし、葉を広げる
影を落としても
風を受けてゆれながら
根を張り、つぼみを膨らませる
同じ夢を抱き
世界にまかれた家族を思いながら
そして、平和の花が咲く
世界中があざやかな花につつまれたとき、
どんな未来が待っているだろうか
私たちは皆平和の種を持っている
一緒にまいてみん?
未来へつなぐ、平和の種。
げんしばくだんがおちると
ひるがよるになって
人はおばけになる
an atomic bomb
when an atomic bomb falls
day becomes night
and people become ghosts
無題 南観音小5年 佐藤智子
よしこちゃんが
やけどで
ねていて
とまとが
たべたいというので
お母ちゃんが
かい出しに
いっている間に
よしこちゃんは
死んでいた
いもばっかしたべさせて
ころしちゃったねと
お母ちゃんは
ないた
わたしも
ないた
みんなも
ないた
弟 舟入小5年 栗栖英雄
いたといたの中に
はさまっている弟、
うなっている。
弟は、僕に
水 水といった。
ぼくは、くずれている家の中に、
はいるのは、いやといった。
弟は、
だまって
そのまま死んでいった。
あの時
僕は
水をくんでやればよかった。
無題 宮内小5年 田尾絹江
げんしばくだんがおちたあと
おかあちゃんが
だいじにのけといた米をたきながら
せんそうをして
なにがおもしろいんだろう
といって、
たかしや たかしや
まめでかえってくれと
いってなきながら
おむすびをつくる。
無題 南観音小6年 増西正雄
つみきをつんで
ようちえんで
遊んでいると
げんばくが落ちて
てんじょうが落ちて
よっちゃんは死んだ
ぼくは
頭に
けがをした
己斐の山に
ようちえんの
先生と
にげて見ると
むこうの山は
燃えていた
みんななにもいいませんでした
先生のやけど 仁保小2年 かくたに のぶこ
わたしのバレーの先生のくびに
ピカドンのやけどがあります。
わたしはかわいそうね、とおもいました。
おどっていると
手のほうにもやけどがありました。
あつかっただろうとおもいます。
やけあとで 比治山小6年 水川スミエ
目の見えなくなった母親が
死んでいる子どもをだいて
見えない目に
一ぱい涙をためて泣いていた
おさないころ
母に手をひかれてみたこの光景が
あの時のおそろしさとともに
頭からはなれない
無題 南観音小5年 香川征雄
よしお兄ちゃんが
げんばくで
死んだあくる日
おかあちゃんが
まい日 まい日
さがしたが
きものも
かばんも
べんとうばこも
骨も
なかった
おかあちゃんは
よしお
なぜ死んだのと
ないて
ないた
ぼくは
げんしばくだん
だいきらいだ
とうとう帰って来ない 鈴峯女子中1年 徳沢尊子
「お姉さん お姉さん」
まっても まっても
夜まで まっても帰らない。
次の日も
その次の日も帰って来ない。
八月六日の朝
出て行く時に元気な声で
「たか坊 いってくるよ」
といったが
どこへ行ったのか帰っては来ない
それから
七年たったが
まだ帰ってこない。
おとうちゃん 本川小3年 柿田佳子
にぎやかな広しまの町
そこでしんだ、おとうちゃん
げんばくの雲にのっていったおとうちゃん
おしろのとこでしんだ、おとうちゃん
わたしの小さいときわかれたおとうちゃん
かおもしらないおとうちゃん
一どでもいい、ゆめにでもあってみたいおとうちゃん
おとうちゃんとよんでみたい、さばってみたい
せんそうがなかったら、おとうちゃんはしななかったろう
もとのお家にいるだろう
にいちゃんのほしがるじてんしゃも
かってあるだろう
育てよう、何度でも咲く平和の花を 中国新聞ジュニアライター
平和の種の土づくりは、
自分自身が知ることだ
初めて 原爆資料館にいったとき
怖かった 震えた 涙が出た
これが ほんとに 広島?
焼け野原になって 何も無くなっていた
破れた制服 ガラスの刺さった体
今 緑あふれる広島からは 想像できなかった
被爆者は あの日の体験を 忘れることはない
私たちも 忘れてはいけない
世界の悲しい出来事も、友達のことも、
知らないと何も始まらない
平和の種の種まきは、
共に考え声を上げる仲間をつくることだ
知らなかったことと出会い、世界が広がる
今も無差別に傷付けられている命がある
人は自分と繋がりのない人が戦争で死んでも
戦争だからと丸め込む
だがそれが自分や自分の家族になったらどうだろう
私たちは、未来の目撃者
だからこそ、声を上げ続けたい
そして、平和の種を育てる当事者
この小さな種が、いつか
世界中に笑顔の花を咲かせると信じて
平和の種の水やりは、
思いやることだ
家族みんなで食べる、あったかいごはん
友達としょうもない話で笑い合う、学校の休憩時間
毎朝登校の見守りをしてくれているおじちゃんと
かわす挨拶
何気ない日々の中にある
人のやさしさを大切に
言葉は、時に鋭い刃となるけれど
温かい励ましや共感は
平和を育む栄養となる
私が笑顔だと、隣の人も笑顔になれる
その連鎖で、大きな笑顔の輪ができる
茎をのばし、葉を広げる
影を落としても
風を受けてゆれながら
根を張り、つぼみを膨らませる
同じ夢を抱き
世界にまかれた家族を思いながら
そして、平和の花が咲く
世界中があざやかな花につつまれたとき、
どんな未来が待っているだろうか
私たちは皆平和の種を持っている
一緒にまいてみん?
未来へつなぐ、平和の種。