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連載・特集

緑地帯 田中今子 キース・ヘリングが見た広島②

 キース・ヘリング(1958~90年)は、米東部のペンシルベニア州で生まれた。アマチュアの漫画家だった父親の影響で、物心がつく前から絵を描き始めた。ヘリングの子ども時代、米国は経済的に発展する一方で、冷戦や公民権運動、ベトナム戦争といった社会的変化が続いた。キリスト教的な価値観の強い家庭で育ったヘリングにとって、祖母の家で読む「ライフ」や「ルック」といった雑誌は、広い世界を知る貴重な情報源であった。

 高校卒業後は、両親らの勧めでピッツバーグの商業美術学校に入学。しかし、そこでの自己実現に限界を感じ、78年、自身の望む生き方を求めてニューヨークへ移った。昼は学生として絵画、映像、パフォーマンスと、多様な表現を試みながら、美術館に足しげく通い古今東西の芸術を学んだ。夜はダウンタウンのクラブシーンに没頭し、交遊関係も広げていった。

 当時、ニューヨーク市の地下鉄では、広告ポスターの掲示期限が過ぎると広告板に黒い紙が貼られていた。ヘリングはそれに目をつけた。警察の目を避けながら、白いチョークで素早く描き出すイメージは、地下鉄の利用者へ時に季節の訪れを告げ、時に社会的な問いを投げかけた。この「サブウェイ・ドローイング」によりヘリングの名が街中にとどろくやいなや欧州、南米、アフリカ、オーストラリアと、大陸をまたいで展覧会や作品制作を行う日々が始まった。(中村キース・ヘリング美術館主任学芸員=山梨県)

(2025年4月22日朝刊掲載)

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