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[被爆80年 県北] 90歳 初めて語る「あの日」 吉舎の福永さん「戦争はしちゃいけん」

HIPPYさんつなぐ証言会

 「平和が一番。戦争はしちゃいけんです」。三次市吉舎町の被爆者福永八重子さん(90)は、80年前の「あの日」を初めて人前で語った。広島市安佐南区出身のシンガー・ソングライターHIPPY(ヒッピー)さん(44)がバトンをつなぐ被爆証言会。知人との縁で初めて三次で開き、市内外の約50人が聞き入った。(林淳一郎)

 専法寺(三次町)の本堂。梵大英副住職(48)とHIPPYさんの親交が6日の証言会開催につながった。若い頃に嫁ぎ先で「原爆のことは話さんように」と言われ、語ることを遠ざけてきた福永さん。「この年になって自分の思いを話しておきたい」と引き受けた。

 福永さんは三良坂町生まれで、9人きょうだいの8人目。原爆投下前日の1945年8月5日、姉が嫁いでいた広島市へ芸備線で赴いた。当時11歳。「初めて洋服を作ってもらってうれしくてね」。そして6日午前8時15分。広島駅近くに姉たちといた時、閃光(せんこう)を浴びた。

 とっさに伏せ、「八重ちゃん」と呼ぶ姉の声で起き上がった。けがはなかったものの、洋服は茶色に。「矢賀(駅)まで大勢の人と歩いたのを覚えています」。姉も無傷だったが、約2カ月後に亡くなったという。

 福永さんは戦後も健康に過ごした。ただ、結婚して子どもが欲しくても家族は「原爆の影響」を懸念した。「苦しかったですよ。でも息子と娘を授かって。みんな喜んでくれて、私も気持ちが軽くなりました」

 毎月6日の証言会は2006年に故冨恵洋次郎さん(17年に37歳で死去)が広島市中区のバーで始めた。冨恵さんが亡くなる直前、証言会に通っていたHIPPYさんに託し、今回の三次開催で229回を数える。

 約1時間の証言の締めくくりに、福永さんはこう願った。「平和な世界であってほしい。難しくて大変な時代だと思うけど、皆さんも頑張ってください」。HIPPYさんも力強く応じた。「思いを受け止めて、僕たちが一日一日をつないでいきます」

(2025年4月27日朝刊掲載)

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