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[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1978年4月3日 孫さんに被爆者手帳

 1978年4月3日。51歳の韓国人被爆者、孫振斗(ソン・ジンドウ)さんが福岡市内の保健所で被爆者健康手帳を受け取った。71年10月の申請から裁判を経て約6年半。「支援の人たちのおかげです。韓国の被爆者も喜んでいるらしいのでとてもうれしいです」と取材に話した。

 裁判記録などによれば、孫さんは27年、大阪市で生まれた。44年に家族と広島市に転居。臨時雇いとして勤めていた電信電話局の倉庫のあった皆実町(現南区)で被爆した。51年、外国人登録をしていなかったとして韓国に強制送還された。

 海外に住む被爆者(在外被爆者)が日本政府の援護を受けられていなかった70年、日本へ密入国した疑いで、佐賀県の漁港で逮捕。「原爆症」の治療を望んでいた。

 有罪になったが、福岡県内で入院中に県へ原爆医療法に基づく手帳の交付を申請。却下されると、取り消しを求め福岡地裁に提訴した。一、二審で勝訴し、78年3月30日、最高裁でも「国家補償的配慮が制度の根底にある」として交付を認められた。

 「『孫振斗裁判』の最高裁判決は、後の被爆者裁判にも大きな影響を与える金字塔」。行政法が専門で在外被爆者支援に携わってきた田村和之・広島大名誉教授(82)=東区=は話す。歴史的な判決を導いた裁判は、広島や福岡をはじめ各地の市民や若手法律家が支えた。きっかけは70年12月8日の記事だった。(編集委員・水川恭輔)

(2025年4月30日朝刊掲載)

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