緑地帯 田中今子 キース・ヘリングが見た広島⑥
25年4月30日
私は長崎で生まれ育ったが、反戦・反核に対する思いが絶えず心の中で燃えていたかといえばそうではない。平穏に、平凡に暮らしてきた。それでも、先人たちの話を聞きながら、柔らかな頭で想像したことは、きっと思考の底に残り続けるものなのだろう。
本コラムの第1回に話を戻す。2023年8月の平和月間展示が無事スタートし、帰省に合わせて広島に立ち寄った。ヘリングの日記を片手に街を歩くと見えてくるものがあり、新たな疑問も湧いた。美術館へ戻り、まずは関係者の整理を始めた。調査の方向性が定まったところで、チームで広島へ向かい、現地での聞き取りを重ねた。
コンサート企画制作会社、レコード会社、壁画の制作候補地として挙がっていた本川小学校や広島市現代美術館、そして広島市役所…。ヘリングの広島訪問には、さまざまな団体や個人が関わっていた。関係者の証言、ヘリングの日記、ヘリング財団所蔵の資料、そして「HIROSHIMA’88」の事務局担当であった上田佳彦氏所蔵の資料を照らし合わせ時系列に整理していくと、その足取りが明らかになった。
ヘリングの壁画制作に関する相談を受けた上田氏は、コンサート準備と並行しながら候補地視察やヘリングの受け入れ準備に奔走し、滞在中にはホストも務めた。そして、その日々を時間単位で記録したメモを、30年以上にわたって保管していたのだ。(中村キース・ヘリング美術館主任学芸員=山梨県)
(2025年4月30日朝刊掲載)
本コラムの第1回に話を戻す。2023年8月の平和月間展示が無事スタートし、帰省に合わせて広島に立ち寄った。ヘリングの日記を片手に街を歩くと見えてくるものがあり、新たな疑問も湧いた。美術館へ戻り、まずは関係者の整理を始めた。調査の方向性が定まったところで、チームで広島へ向かい、現地での聞き取りを重ねた。
コンサート企画制作会社、レコード会社、壁画の制作候補地として挙がっていた本川小学校や広島市現代美術館、そして広島市役所…。ヘリングの広島訪問には、さまざまな団体や個人が関わっていた。関係者の証言、ヘリングの日記、ヘリング財団所蔵の資料、そして「HIROSHIMA’88」の事務局担当であった上田佳彦氏所蔵の資料を照らし合わせ時系列に整理していくと、その足取りが明らかになった。
ヘリングの壁画制作に関する相談を受けた上田氏は、コンサート準備と並行しながら候補地視察やヘリングの受け入れ準備に奔走し、滞在中にはホストも務めた。そして、その日々を時間単位で記録したメモを、30年以上にわたって保管していたのだ。(中村キース・ヘリング美術館主任学芸員=山梨県)
(2025年4月30日朝刊掲載)