[ヒロシマドキュメント 証言者たち] 川下ヒロエさん(後編) 安住求め母子で被爆地へ
25年4月29日
1966年、19歳で中学を卒業した川下ヒロエさん(79)=広島市東区=はこの年、被爆者健康手帳を取得した。当時住んでいたのは北九州市。母兼子さん(2014年に92歳で死去)は「向こうではほとんど使えなかった」と証言している。「病院で出しても『それなんですか』と」
2人が北九州市に落ち着いた65年、広島ではヒロエさんのように母親のおなかの中で強い放射線を浴びた原爆小頭症被爆者や親たちが「きのこ会」を結成。67年には、原爆により生まれながら知的、身体障害を負ったと国に認めさせ、「認定被爆者」になれば手当も出るようになった。
それを兼子さんは「知らなかった」。被爆地を離れると、被爆者援護の情報は乏しかった。
「考える余裕もなかった」。母子2人暮らし。社宅の寮母で生計を立てる中、20代になった娘にも手に職を付けさせようと、和裁学校に通わせる。が、本人は「製図に算数が要る。できなかった」。なりわいにするのを諦め、社宅の掃除を手伝う日々を過ごした。
ヒロエさんは89年に43歳で認定被爆者になった。兼子さんは67歳。寮母を退き、広島への転居を考え始めていた。被爆地なら、周囲の理解も支援も得られ、自らの亡き後に娘が安住できる、と考えたらしい。
頼ったのが、医療ソーシャルワーカーの村上須賀子さん(79)=廿日市市。95年に出会った頃は病院勤めの傍ら、小頭症被爆者の健康や生活状況を調べていた。調査の電話を受け、兼子さんは逆に転居の件を相談した。
九州に、幼くして手放した長男がいた。「そばにいた方がいいのに」と投げかける村上さんに打ち明けた。一度は亡き夫の親に託したが、曲折を経て里子に出されていたこと。逃げ帰ってくると、父が施設に入れてしまったこと…。長男が就職後、一時同居したが、溝を埋め切れなかった。
「原爆は一家の絆まで傷つけたんです」と村上さんは憤る。95年に広島に移り住んだ母子を、ずっと支えてきた。
「広島に来て良かった」とヒロエさんは言う。きのこ会の仲間が何かと気にかけてくれる。母の葬儀や、その後の引っ越しも世話してもらった。兄もすでに逝ったが、市役所には専任の相談員がいる。
「退屈する時間がないの」。買い物に行き、3度の食事をこしらえる。行きつけの喫茶店もある。趣味は詩作と絵画。散歩中、題材にする花を探すのが楽しい。それでも、ふと漏らす。「原爆がなければ別の幸せもあったかな」
≪げんばくドームにやっと光がとどく ははこぐさの花もさいている この小さな花たちの命をけさないでね ヒロエ≫
(編集委員・田中美千子)
(2025年4月29日朝刊掲載)
2人が北九州市に落ち着いた65年、広島ではヒロエさんのように母親のおなかの中で強い放射線を浴びた原爆小頭症被爆者や親たちが「きのこ会」を結成。67年には、原爆により生まれながら知的、身体障害を負ったと国に認めさせ、「認定被爆者」になれば手当も出るようになった。
それを兼子さんは「知らなかった」。被爆地を離れると、被爆者援護の情報は乏しかった。
「考える余裕もなかった」。母子2人暮らし。社宅の寮母で生計を立てる中、20代になった娘にも手に職を付けさせようと、和裁学校に通わせる。が、本人は「製図に算数が要る。できなかった」。なりわいにするのを諦め、社宅の掃除を手伝う日々を過ごした。
ヒロエさんは89年に43歳で認定被爆者になった。兼子さんは67歳。寮母を退き、広島への転居を考え始めていた。被爆地なら、周囲の理解も支援も得られ、自らの亡き後に娘が安住できる、と考えたらしい。
頼ったのが、医療ソーシャルワーカーの村上須賀子さん(79)=廿日市市。95年に出会った頃は病院勤めの傍ら、小頭症被爆者の健康や生活状況を調べていた。調査の電話を受け、兼子さんは逆に転居の件を相談した。
九州に、幼くして手放した長男がいた。「そばにいた方がいいのに」と投げかける村上さんに打ち明けた。一度は亡き夫の親に託したが、曲折を経て里子に出されていたこと。逃げ帰ってくると、父が施設に入れてしまったこと…。長男が就職後、一時同居したが、溝を埋め切れなかった。
「原爆は一家の絆まで傷つけたんです」と村上さんは憤る。95年に広島に移り住んだ母子を、ずっと支えてきた。
「広島に来て良かった」とヒロエさんは言う。きのこ会の仲間が何かと気にかけてくれる。母の葬儀や、その後の引っ越しも世話してもらった。兄もすでに逝ったが、市役所には専任の相談員がいる。
「退屈する時間がないの」。買い物に行き、3度の食事をこしらえる。行きつけの喫茶店もある。趣味は詩作と絵画。散歩中、題材にする花を探すのが楽しい。それでも、ふと漏らす。「原爆がなければ別の幸せもあったかな」
≪げんばくドームにやっと光がとどく ははこぐさの花もさいている この小さな花たちの命をけさないでね ヒロエ≫
(編集委員・田中美千子)
(2025年4月29日朝刊掲載)