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社説・コラム

天風録 『海に生きる者』

 動物文学で知られる椋鳩十(むくはとじゅう)に、おどろおどろしい題名の異色作がある。「地獄島とロシア水兵」だ。舞台は萩の沖合45キロに浮かぶ見島。120年前の5月、島に訪れた「事件」を題材にした▲時は日露戦争のさなか。日本海で艦船を沈められたロシア兵55人がボートで島に流れ着く。敵襲かと身構えていた島民は、傷だらけの兵士を見て態度を一変。すぐ手当てし貴重な食料を分け与えた。大半の人が借金を背負い、「地獄」と呼ばれた倹約暮らしをしていたというのに▲命の尊さを主要テーマに据えていた鳩十の心に響いたのだろう。〈海に生きる者は、難破船を見かけたら命がけで救助する〉。苦境でも揺るがぬ島民の使命感、心意気への感動が文章からにじむ▲今こそ作品を熟読すべきなのがロシアのプーチン大統領だ。120年後も変わらず戦争をしている愚かさ。55人どころではない。ウクライナでは既に数十万人単位で兵士が亡くなっている。どこまで命を軽んじるのか▲もちろん当時の島民がロシア側に見返りを求めた記録などない。ウクライナに支援した金や武器を、鉱物資源できっちり返せと迫る米大統領とも大違いだ。同じ地球に生きる者だというのに。

(2025年5月1日朝刊掲載)

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