[ヒロシマドキュメント 1946年] 5月1日 雑誌「月刊中国」が創刊
25年5月1日
1946年5月1日。中国新聞社が雑誌「月刊中国」を創刊した。広島市上流川町(現中区)の本社で印刷。「雑誌と言へば中央と考へられてゐた旧観念を脱し、地方文化の昂揚はその地方において強力なる出版機構を持たねばならぬ」と掲げた。
創刊号はカラーの表紙に花の絵をあしらい、B5判で36ページ。定価は1円50銭だった。広島文理科大(現広島大)の学長だった長田新さんは自らの戦前の渡欧経験を記し、「一国文化の健全な発展は学術に道徳に芸術に宗教にそれぞれ地方に深く根をおろすところにある」との言葉を寄せた。
プロレタリア作家の細田民樹さんの小説「わがふるさと」や、短歌を掲載。戦後の物資不足の中、「食糧危機突破調理法」も紹介。代用食だったサツマイモは、煮るときに大根を入れると消化が良く、栄養も取れると勧めている。
中国新聞百年史(92年刊)によると、家庭向けの娯楽のみならず、「よくわかる、面白い、ためになる読み物」を目指した。編集長や記者3人が携わった。当時の担当者は「印刷した物は何でも飛ぶように売れた時代だった」(78年2月3日付本紙)。46年8月の「原子爆弾記念号」には被爆体験や広島県産業奨励館(現原爆ドーム)のペン画などを収録する。
中国新聞社は、子会社の夕刊ひろしま新聞社を設立し、6月1日には「夕刊ひろしま」の発行も始める。(山本真帆)
(2025年5月1日朝刊掲載)
創刊号はカラーの表紙に花の絵をあしらい、B5判で36ページ。定価は1円50銭だった。広島文理科大(現広島大)の学長だった長田新さんは自らの戦前の渡欧経験を記し、「一国文化の健全な発展は学術に道徳に芸術に宗教にそれぞれ地方に深く根をおろすところにある」との言葉を寄せた。
プロレタリア作家の細田民樹さんの小説「わがふるさと」や、短歌を掲載。戦後の物資不足の中、「食糧危機突破調理法」も紹介。代用食だったサツマイモは、煮るときに大根を入れると消化が良く、栄養も取れると勧めている。
中国新聞百年史(92年刊)によると、家庭向けの娯楽のみならず、「よくわかる、面白い、ためになる読み物」を目指した。編集長や記者3人が携わった。当時の担当者は「印刷した物は何でも飛ぶように売れた時代だった」(78年2月3日付本紙)。46年8月の「原子爆弾記念号」には被爆体験や広島県産業奨励館(現原爆ドーム)のペン画などを収録する。
中国新聞社は、子会社の夕刊ひろしま新聞社を設立し、6月1日には「夕刊ひろしま」の発行も始める。(山本真帆)
(2025年5月1日朝刊掲載)