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社説・コラム

『書評』 原爆と俳句 永田浩三著 弔いと憤怒の強い意志

 ヒロシマの椅子が足りない蟬しぐれ(伊達えみ子)

 表紙には木下晋の鉛筆画による、羽化したばかりのセミ。原爆俳句の中で最も詠まれているという。「木下さんの蟬(せみ)に誘われ、死者は眠り、生者は生きていく」と著者。

 評者は本紙の天風録に俳句をよく引用したが、本書を読み自分の理解の至らなさを知る。17音の文学の苦闘もまた知った。

 戦時下の俳人は弾圧された。厭戦(えんせん)気分を句に込める会員が多かった同人「京大俳句」は何度も治安維持法で摘発される。戦闘機の墜落を詠んだだけで有罪判決を受けた。

 戦闘機ばらのある野に逆立ちぬ(仁智栄坊)

 一方で俳人の中に「弾圧の黒幕」がいたとは驚きである。当時の日本放送協会に属して「日本は南進すべし」と詠み、俳人に脅しもかけていたという。それは命を慈しむ俳句の本質とは無縁であり、NHK出身の著者がどうしても触れておきたい闇ではなかったか。

 「京大俳句」の会員には西東三鬼(さいとうさんき)もいた。三鬼には有名な句がある。

 広島や卵食ふ時口ひらく

 評価や受け止めが分かれた句だと知った。被爆後の広島を旅した三鬼がその惨状に、物が口に入らないほど身も心も固まったという解釈が一つ。片や、やけどで口のつぶれた被爆者が物を食う姿だという解釈があった。初出は連合国軍総司令部(GHQ)の検閲を通ったというのも不思議であり、謎を秘めて今なお強い印象を残す句である。

 著者が執筆を思い立ったのは、1955年に世に出た「句集広島」「句集長崎」に出合ったことだ。「句集広島」には1万人余りが投稿し、1521句が収録された。著者は母親や祖父母の原爆体験をも重ね合わせ、多数の句をすくい上げている。市井の人たちの原爆への憤怒と死者を弔う強い意志が伝わってくる。

 原爆忌原潜くるなと怒る霊も(名倉高志)

 14年後には「句集 ひろしま」が編まれた。核戦力が幅を利かす、新たな戦争への危惧が詠まれていたことを知った。 (佐田尾信作・客員編集委員)

大月書店・3080円

(2025年5月4日朝刊掲載)

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