[戦後80年] 空襲犠牲者悼み法要・集い 7月には市街地も 周南「経験した苦労 後世に」
25年5月11日
1945年の5月10日の徳山空襲から80年を迎えた10日、周南市主催の戦没者追悼式が市文化会館であった。同市は2度の空襲で計約千人が亡くなったとされる。遺族たち約260人が参列し、戦死した兵士や空襲の犠牲者を悼んだ。(井上龍太郎)
式では黙とう後、藤井律子市長が「戦後80年の節目の年。平和の尊さを末永く継承しなければならない」と誓った。市連合遺族会の大川勝也会長(82)は「遺族だからこそ、経験した苦労を後世に語り継ぐことが大切」と述べた。
会場には献花台が設けられ、参列者は白い菊を供えて手を合わせた。伯父が戦地で亡くなったという同市の主婦温品京子さん(74)は「頭がよくきちょうめんだったそう。同じような悲劇があってはならない」と願った。
同市は5月の海軍燃料廠(しょう)に続き、7月にも市街地が空襲された。被災した同市の徳原恵美子さん(94)は「川崎観音のあたりまで逃げ、街が焼けるのを見た。戦争は嫌」と言葉を振り絞った。
(2025年5月11日朝刊掲載)
式では黙とう後、藤井律子市長が「戦後80年の節目の年。平和の尊さを末永く継承しなければならない」と誓った。市連合遺族会の大川勝也会長(82)は「遺族だからこそ、経験した苦労を後世に語り継ぐことが大切」と述べた。
会場には献花台が設けられ、参列者は白い菊を供えて手を合わせた。伯父が戦地で亡くなったという同市の主婦温品京子さん(74)は「頭がよくきちょうめんだったそう。同じような悲劇があってはならない」と願った。
同市は5月の海軍燃料廠(しょう)に続き、7月にも市街地が空襲された。被災した同市の徳原恵美子さん(94)は「川崎観音のあたりまで逃げ、街が焼けるのを見た。戦争は嫌」と言葉を振り絞った。
(2025年5月11日朝刊掲載)