[戦後80年 遺構を巡る 芸南賀茂] 2本ずつの呉線トンネル 戦時中の輸送強化 幻に
25年5月10日
JR呉線の呉―海田市間(約20キロ)は、単線なのにトンネルは2本ずつある。複線化を目的に1941~45年、既存のトンネル脇に9本が掘られたからだ。戦争が激しくなる中、呉市の旧呉海軍工廠(こうしょう)などへの人員や物資の輸送力強化は喫緊の課題だった。しかし、線路はつながらないまま終戦を迎えた。
太平洋戦争の開戦直前に複線化工事は始まったが、45年に中断に追い込まれた。県立文書館(広島市中区)総括研究員の西向宏介さん(59)は「資材と労働力不足による工期の遅れに、戦局悪化も重なった」と説明する。
列車の走らない幻のトンネルは一転、蒸気機関車から電車へのシフトで注目される。古いトンネルは架線を通すには高さが足りず、戦時中に建設したものを改修して使うことになった。終戦から25年を経て列車を通す役割を担うようになった。
一方、軍人や工員、軍需物資を運ぶ機関車が通った古いトンネル。呉市の落走トンネルなど、その多くは入り口をふさぐように草木が茂る。沿線に住む田村誠さん(77)は「かつては子どもたちが通っていた記憶がある」と振り返る。
安芸路の山を並んで貫く新旧のトンネル。西向さんは「注意して観察しないと気付かないが、軍港都市を支えた呉線の歩みを教えてくれる存在だ」と話す。(開沼位晏)
(2025年5月10日朝刊掲載)
太平洋戦争の開戦直前に複線化工事は始まったが、45年に中断に追い込まれた。県立文書館(広島市中区)総括研究員の西向宏介さん(59)は「資材と労働力不足による工期の遅れに、戦局悪化も重なった」と説明する。
列車の走らない幻のトンネルは一転、蒸気機関車から電車へのシフトで注目される。古いトンネルは架線を通すには高さが足りず、戦時中に建設したものを改修して使うことになった。終戦から25年を経て列車を通す役割を担うようになった。
一方、軍人や工員、軍需物資を運ぶ機関車が通った古いトンネル。呉市の落走トンネルなど、その多くは入り口をふさぐように草木が茂る。沿線に住む田村誠さん(77)は「かつては子どもたちが通っていた記憶がある」と振り返る。
安芸路の山を並んで貫く新旧のトンネル。西向さんは「注意して観察しないと気付かないが、軍港都市を支えた呉線の歩みを教えてくれる存在だ」と話す。(開沼位晏)
(2025年5月10日朝刊掲載)