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「水の街」広島 鮮やかに 平和大橋の前身「新橋」 写真発見

被爆の後に洪水で全壊 爆心の町の元住民が保存

 広島市中区の元安川にかかる平和大橋の前身、「新橋」の全景写真が十五日までに見つかった。原爆で橋げたが落ちた新橋の全容を収めた写真は、同市の保存資料にもない。デルタに広がる被爆前の「水の街」を鮮やかに刻んでいる。

 保存していたのは、福岡県柳川市に住む筑紫宗光さん(78)。生家は現在、平和記念公園となった旧天神町で眼科医院だった。旧制広島一中(現・国泰寺高)の生徒だった一九三二(昭和七)年に撮影した。写真裏には「一九三二・九・三〇」と記されている。

 「元安川は、遊泳やエビ釣りなど子どもの遊び場だった。ドイツ製カメラで周辺をよく撮った」と筑紫さん。応召中に生家では母と姉、おい、お手伝いの四人が爆死し、父の郷里・柳川に荷物疎開させていたアルバムだけが残った。

 木造の新橋は一八(大正七)年に架け替えられ、平和記念公園となる中島地区と東側の大手町地区をつなぐ要路だったが、原爆の爆風で橋げた中央部が崩れ落ち、橋脚は後の洪水で全壊。彫刻家の故イサム・ノグチ氏がデザインした平和大橋は五二(昭和二十七)年、新橋の下流七十メートルに開通した。

 広島市の委託で被爆関連記録写真の調査にあたっている同市安佐北区の写真家井手三千男さん(57)は「市民が描く原爆の絵によく表れる新橋を、完全に収めた写真は初めて。石炭やまきを運んでいた川船や護岸、民家の裏木戸の様子など、川とともに生きてきた広島の街の歴史が分かる貴重な資料」と話している。

(1998年10月16日朝刊掲載)

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