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社説・コラム

[記者×思い] 実は「遠くない話」 どう書けば… 編集委員 田中美千子

 絵心も文才もないけれど、共感力はある気がする。2000年入社。

 連休中、実家を掃除していて懐かしいものを見つけた。小学生の頃、父が単身赴任先から寄こしてくれた手紙の束だ。毎回、短い文章に自作の漫画が添えられていた。題材は私や兄たちが起こした珍事件の数々。これがなかなか上手でいつも楽しみだった。読み返してみると「もうすぐ一緒に暮らせるね」なんて書いてある。じわっときた。

 同じ手紙でも、この人にとっては生きる支えとなったに違いない。連載中の「ヒロシマドキュメント 証言者たち」で取材した、兵庫県川西市の島本幸昭(よしあき)さん(89)。広島県北に疎開していた80年前、両親から届いたという手紙を見せてくれた。

 「人に迷惑のかからない様、気をつける事。そうすれば幾らあばれても良い。悪い者は何処迄(どこまで)もやっつけてやれ。弱い者をいじめてはならぬ。良い子、強い子にならねばなりません」(父)

 「面会が許されたら飛んで行きたいと思ひます。元気で勉強して下さいね」(母)

 父も母も、妹までも原爆に奪われ、島本さんは9歳で孤児となった。戦後は親戚の元や施設を転々としながらも、苦学して教職に就く。折々に手紙を読み返したそうだ。愛された日々があったから生き抜くことができたのだと、目元を赤くしながら語ってくれた。

 原爆の罪深さを知ってほしいと、彼らは懸命に証言してくれる。あの日の惨状を、戦後の苦難を、消えることのない悲しみを。ある人は悔しさをにじませた。「今の人には真の悲惨さが伝わっていない。原爆が使われない保証などありやしないのに」と。彼女も孤児だ。戦禍が続く世界の行く末を心底、案じていた。

 つくづく、記者の役目の重さを思う。確かに原爆も戦争も「遠い話」と思われがちだ。決して、そうではないのに。どう書けば読んでもらえるか、証言者の思いを届けられるか。取材ノートを広げ、頭を悩ませている。

(2025年5月13日朝刊掲載)

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