×

社説・コラム

天風録 『世界一貧しい大統領』

 世界一貧しい大統領という愛称を、内心苦々しく思っていたのではないか。ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカさんが89歳で亡くなった。本当に貧しいのは物を持たない人でなく、多くを欲する者だと繰り返し説いていた▲物を得ることに心乱され、あくせく働けば、最も大事な自由な時間を失う。質素な生活にこそ幸福が宿るとの信念があった。大統領報酬の9割を寄付し農場で働き続けた。われわれが忘れそうな「足るを知る」を、地球の真裏の国から教えてくれた▲ムヒカさんは79歳で大統領を退いた翌年に初来日した。講演に選んだ題は「日本人は本当に幸せですか」。生産性が高まったのに一握りの金持ちに富が集中し恩恵が広がっていないと、もうけ主義を批判した▲広島への訪問を熱望したらしい。原爆資料館ではいつもの無邪気さが消え、厳しい表情で展示に見入っていたという。芳名録には、「倫理を伴わない科学は、想像もできない邪悪なものに利用されかねない」と記した▲文明の急速な発展スピードに「倫理や哲学が追い付いていない」と、かねて心配していた。科学は原爆を生み、市場経済は格差を広げた。豊かさとは何か、いま一度考えたい。

(2025年5月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ