[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1996年12月5日 原爆ドーム 世界遺産に
25年5月19日
1996年12月5日。メキシコ・メリダ市で開かれていた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で、原爆ドーム(広島市中区)の世界文化遺産への登録が決まった。第2次世界大戦に関わる戦争遺跡では、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に次いで2例目となった。
日本時間では6日未明に朗報が届いた。連合広島や広島県被団協(伊藤サカエ理事長)、県医師会などでつくる「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」は同日、ドーム前で記者会見し、「ヒロシマ・アピール」を発表。165万筆を超えた賛同署名への感謝を伝え、「世界の共有財産としての原爆ドームを大切に保護し、後世に伝える」と誓った。
当時、広島大大学院に留学していたポーランド出身のウルシュラ・スティチェック・ボイエデさん=南区=は「もちろん世界遺産にすべきだと思っていました」と振り返る。94年、母国の大学教授の視察に同行して初めてドーム敷地内に入り、多くの命が奪われた被爆時に思いをはせた経験があった。「原爆もアウシュビッツも決して忘れてはならない歴史ですから」
米軍による原爆投下から51年。被爆者の老いが進む中、かつて存廃に揺れたドームは惨禍を伝える「物言わぬ証人」としての存在意義を一層強めていく。(山下美波)
(2025年5月19日朝刊掲載)
日本時間では6日未明に朗報が届いた。連合広島や広島県被団協(伊藤サカエ理事長)、県医師会などでつくる「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」は同日、ドーム前で記者会見し、「ヒロシマ・アピール」を発表。165万筆を超えた賛同署名への感謝を伝え、「世界の共有財産としての原爆ドームを大切に保護し、後世に伝える」と誓った。
当時、広島大大学院に留学していたポーランド出身のウルシュラ・スティチェック・ボイエデさん=南区=は「もちろん世界遺産にすべきだと思っていました」と振り返る。94年、母国の大学教授の視察に同行して初めてドーム敷地内に入り、多くの命が奪われた被爆時に思いをはせた経験があった。「原爆もアウシュビッツも決して忘れてはならない歴史ですから」
米軍による原爆投下から51年。被爆者の老いが進む中、かつて存廃に揺れたドームは惨禍を伝える「物言わぬ証人」としての存在意義を一層強めていく。(山下美波)
(2025年5月19日朝刊掲載)