[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1995年8月6日 式典 訴えた非人道性
25年5月18日
被爆50年の1995年8月6日。広島市の平和記念式典が平和記念公園(中区)で営まれた。過去最多の約6万人が参列し、市が把握できただけで海外21カ国95社が取材。米軍の原爆投下により45年末までに推計約14万人(誤差±1万人)が亡くなり、一面が焦土と化してから半世紀の街を見つめた。
45年11月に13万人台だった市内の人口は、85年に100万人を突破。94年にはアジア競技大会が開かれた。ただ、放射線の影響によるがんの増加をはじめ原爆被害は収束せず、証言や資料で被爆の実態を伝える活動が続いていた。
平岡敬市長は式典での平和宣言で、広島の市民が「原子爆弾がもたらした人間的悲惨」を世界へ知らせ、核兵器廃絶を呼びかけてきたと強調。「核兵器の保有を国家の力の象徴と考える人たちがいる現実に、私たちは深い悲しみを覚える。原子爆弾は明らかに国際法に違反する非人道的兵器だ」と述べた。95年の世界の核兵器数はピーク時より減ったが、推計で3万発以上あった。
国際反核法律家協会などの非政府組織(NGO)が、国際法の観点から核兵器の廃絶を目指す「世界法廷運動」を進めていた。核兵器の非保有国が呼応。94年12月、国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)に核兵器の使用・威嚇が合法か違法かの勧告的意見を求める国連総会決議にこぎ着けた。
広島の法律家や被爆者たちは、ICJに被爆の実態を伝えて違法判断を引き出そうと運動。平岡市長と、長崎市の伊藤一長市長による陳述を目指した。2人の市長は式典から約3カ月後の11月7日に法廷に立った。(編集委員・水川恭輔)
(2025年5月18日朝刊掲載)
45年11月に13万人台だった市内の人口は、85年に100万人を突破。94年にはアジア競技大会が開かれた。ただ、放射線の影響によるがんの増加をはじめ原爆被害は収束せず、証言や資料で被爆の実態を伝える活動が続いていた。
平岡敬市長は式典での平和宣言で、広島の市民が「原子爆弾がもたらした人間的悲惨」を世界へ知らせ、核兵器廃絶を呼びかけてきたと強調。「核兵器の保有を国家の力の象徴と考える人たちがいる現実に、私たちは深い悲しみを覚える。原子爆弾は明らかに国際法に違反する非人道的兵器だ」と述べた。95年の世界の核兵器数はピーク時より減ったが、推計で3万発以上あった。
国際反核法律家協会などの非政府組織(NGO)が、国際法の観点から核兵器の廃絶を目指す「世界法廷運動」を進めていた。核兵器の非保有国が呼応。94年12月、国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)に核兵器の使用・威嚇が合法か違法かの勧告的意見を求める国連総会決議にこぎ着けた。
広島の法律家や被爆者たちは、ICJに被爆の実態を伝えて違法判断を引き出そうと運動。平岡市長と、長崎市の伊藤一長市長による陳述を目指した。2人の市長は式典から約3カ月後の11月7日に法廷に立った。(編集委員・水川恭輔)
(2025年5月18日朝刊掲載)