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2000年原爆忌 「あの日」伝える使命 消えた元柳町、記録に残そう 遺族が合同追悼式

 町ごと原爆で消えた「元柳町」の旧住民らの遺族が六日、広島市中区の平和記念公園の町跡で、合同追悼式を初めて営んだ。約五十人が参列、「二十一世紀も死没者を慰霊し、町の記録を残そう」と誓い合った。

 旧住民でつくる「柳生会」の上田良三代表(84)=中区江波南二丁目=が「長い間、このような追悼ができなかったことをお許しください」と述べ、「町が根こそぎ破壊された悲劇を後世に伝え、世界平和を実現しよう」と呼び掛けた。隣の中島本町(中区中島町)にあった浄宝寺を受け継ぐ諏訪了我住職(67)の読経で、全員が焼香した。

 祭壇には、約四十の民家や森永食糧工業(現・森永製菓)広島支店が軒を連ねた被爆前の空撮写真や、中国新聞「ヒロシマの記録―遺影は語る」に掲載された八十三人の被爆死記録と六十三人の遺影をまとめたパネル紙面が飾られた。

 両親や兄弟の五人を亡くした中区三川町、本上栄次郎さん(76)は「原爆の八カ月前、兵隊に行く私を見送りに来た父が、列車の窓に顔を押し付け『元気で頑張れ』と言ったのを、ありありと思い出しました。ゆかりの地で何よりの供養ができました」と話していた。

(2000年8月7日朝刊掲載)

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