現在地 広島サミットから2年 <下> 若い力
25年5月21日
「惨状伝える」思いを強く
発信力 被爆者の希望
「私たちの活動はどんな意味があるんでしょう」。広島なぎさ高2年の河村波音さん(16)=広島市佐伯区=は、達成感の中に戸惑いが入り交じる。
核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第3回準備委員会に合わせ、広島県内の高校生代表として4~5月に米ニューヨークを訪れた。各国の若者たちと「核兵器のない世界」に向けた行動を議論。被爆者の八幡照子さん(87)=広島県府中町=が体験したあの日の惨状も伝えた。同時に、核兵器を持つ国々が核軍縮を巡って非難し合う外交の現実に触れた。
河村さんには、宇品町(現南区)で1歳の時に被爆した祖母がいる。市中心部の写真館に行くのを曽祖母の体調不良で取りやめ、命をつないだ―。その事実を幼い頃に母から聞いて衝撃を受けて以来、河村さんにとって原爆は「自分ごと」になった。
2023年5月に広島市で先進7カ国首脳会議(G7サミット)が開かれた際は「核兵器のない世界」追求を誓うリーダーたちの言葉に期待を高めた。3カ月後には一般社団法人が主催した国会内での「子ども世界平和サミット」に参加。24年夏には国連の「ユース非核リーダー基金」の研修を市で受け、インドやタイの若者との対話から核兵器廃絶へ「教育が何より重要」と学んだ。
被爆地から平和を訴える若者を増やすきっかけづくりは広島サミットの狙いの一つだった。「若者が平和の尊さを後世に語り継いでこそ、開催の意義がある」。外務省G7広島サミット事務局で副事務局長を務めた溝渕将史米シカゴ総領事(59)=南区出身=は準備段階から繰り返した。
広島大2年出野日葵(ひまり)さん(19)=安佐南区=は、広島サミットを機に被爆の惨状を伝える思いを強めた一人だ。23年3月に地元の官民組織が市内で開いたG7広島サミットジュニア会議で、G7各国の若者と平和や持続可能性を討議。当時の岸田文雄首相宛ての6ページの成果文書にまとめた。今は平和記念公園(中区)で外国人を案内する「ユースピースボランティア」に取り組む。
被爆者も若い力に希望を託す。今月18日、ユースピースボランティアの約60人に自身の体験を語った河野キヨ美さん(94)=中区=は「人間がつくった核兵器は人間がなくす。世界中にそう訴える若者が増えてほしい」と願った。
広島サミット後も核を巡る世界情勢が厳しさを増す中、出野さんは「核兵器をどうすれば本当になくせるのか。具体的なプロセスを一人一人が考えないといけない」と感じる。河村さんは準備委で実感した核を巡る対立におののきながらも前を向く。「一市民だけど無力じゃない。自分に何ができるか、考え続ける」(樋口浩二)
(2025年5月21日朝刊掲載)