[被爆80年] 記憶めくる 風通し 広島市 原爆死没者名簿129冊
25年5月23日
広島市は22日、平和記念公園(中区)で、原爆慰霊碑に納めている原爆死没者名簿の「風通し」をした。昨年から3冊増え、5079人分が加わった名簿129冊を外気に当てた。
原爆投下時刻の午前8時15分に職員22人が黙とうして作業を開始。地上と地下の石室から名簿を取り出し、碑前の白い布に並べた。和紙を1枚ずつめくって状態を確認。順次、石室に戻した。
修学旅行で訪れて様子を見守った、岐阜県多治見市の平和中3年高木集司さん(14)は「被爆者の名を丁寧に記し、保管していて驚いた。戦争のない世の中の大切さを身近な所から伝えたい」と話した。
被爆80年となり、市は名簿127冊に、昨年8月5日までに死亡を確認した広島の被爆者34万4306人の名前や死没年月日、死亡時の年齢を記載。別の1冊には遺族が望んだ長崎の被爆者13人を、もう1冊に「氏名不詳者多数」と記す。8月6日以降に死亡を確認した被爆者は来月上旬から記帳し、今年の平和記念式典で納める。
地上の石室は1952年に慰霊碑とともに完成。名簿が入りきらなくなり、碑の改築に合わせて85年に地下部分を新設した。広さは幅2・3メートル、奥行き3メートル、高さ1・2メートル。名簿を入れた奉安箱が四方の棚に2段ずつ計28箱安置され、この日は職員が防虫剤と調湿剤を入れ替え、清掃をした。(樋口浩二)
(2025年5月23日朝刊掲載)
原爆投下時刻の午前8時15分に職員22人が黙とうして作業を開始。地上と地下の石室から名簿を取り出し、碑前の白い布に並べた。和紙を1枚ずつめくって状態を確認。順次、石室に戻した。
修学旅行で訪れて様子を見守った、岐阜県多治見市の平和中3年高木集司さん(14)は「被爆者の名を丁寧に記し、保管していて驚いた。戦争のない世の中の大切さを身近な所から伝えたい」と話した。
被爆80年となり、市は名簿127冊に、昨年8月5日までに死亡を確認した広島の被爆者34万4306人の名前や死没年月日、死亡時の年齢を記載。別の1冊には遺族が望んだ長崎の被爆者13人を、もう1冊に「氏名不詳者多数」と記す。8月6日以降に死亡を確認した被爆者は来月上旬から記帳し、今年の平和記念式典で納める。
地上の石室は1952年に慰霊碑とともに完成。名簿が入りきらなくなり、碑の改築に合わせて85年に地下部分を新設した。広さは幅2・3メートル、奥行き3メートル、高さ1・2メートル。名簿を入れた奉安箱が四方の棚に2段ずつ計28箱安置され、この日は職員が防虫剤と調湿剤を入れ替え、清掃をした。(樋口浩二)
(2025年5月23日朝刊掲載)