[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 2009年4月 オバマ氏への期待
25年5月26日
「思い分かって」訪問要請
2009年4月5日。広島の被爆者たちが米大統領の言葉に強い関心を向けた。1月に就任したオバマ氏がチェコ・プラハで演説し、「核兵器なき世界の平和と安全保障を追求する。私たちはできる(Yes we can)」と明言。さらに「核を持つ国として、核兵器を使用したことがある唯一の国として、米国には道義的な責任がある」と言い切った。
米の姿勢変化
当時83歳の広島県被団協の坪井直理事長は「生きているうちに核兵器全廃が実現するかもしれない」と歓迎。もう一つの県被団協の金子一士理事長も「核抑止力を巡る従来の米国の姿勢が変わった」と受け止めた。
その3カ月前。二つの県被団協、韓国原爆被害者対策特別委員会、県朝鮮人被爆者協議会など広島の被爆者7団体はオバマ氏に被爆地訪問を促す書簡を送っていた。就任前から核兵器廃絶に意欲を示しており、賛同の気持ちからだった。
坪井さんは文案作成に際し「被爆者の思いを分かってくれる人だと期待している」と話し、被爆者との懇談も要請した。日本被団協も被害の実態を伝えたいと被爆者との面会を手紙で求めた。秋葉忠利市長は8月6日の平和宣言で「私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります」と訴えた。
冷戦終結から20年。世界の核兵器数は9割超を占める米ロを中心に8カ国計2万発以上と推定され、06年に初の核実験をした北朝鮮は09年5月に2回目を強行した。
オバマ氏は7月、ロシアのメドベージェフ大統領と会談し、戦略核弾頭数の削減に合意。プラハ演説では安全保障上の核兵器への依存度を下げる意思も示し、「構想と努力」が評価されてこの年のノーベル平和賞を受賞した。だが、坪井さんが願った「生きているうちの核兵器全廃」の道筋は見えてこなかった。
一つに、米ロの対立が影を落とした。12年にプーチン氏が大統領に復帰したロシアは14年にウクライナ南部のクリミア編入を強行。主要国(G8)の7カ国はロシアを除名した。米ロの核軍縮交渉は停滞し、オバマ政権も核戦力の性能維持実験や近代化を続けた。
決断への関心
初の現職米大統領の被爆地訪問もすぐには実現しなかった。オバマ氏は09年の来日時に「できれば名誉」と述べたが、その時も、10、14年の来日時も見送り。ただ、10年の広島市の平和記念式典に米国の駐日大使が初めて出席し、15年8月の広島、長崎両市の式典には国務次官も初参列した。
オバマ氏の決断に関心が高まる中で、11年就任の松井一実市長はかねて原爆投下への謝罪に「こだわらない」と表明していた。一方で、長年被爆者運動の先頭に立った森滝市郎さんの次女春子さん(86)=佐伯区=は「『核なき世界』を語る大前提に、原爆投下が過ちだったと認めることがあると思っていました」。
16年4月11日、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に先立つ外相会合で広島市を訪れた米国のケリー国務長官が原爆慰霊碑へ献花し、原爆資料館を見学。記者会見で、オバマ氏に「(被爆地)訪問がいかに大切かを確実に伝えたい」と述べた。米紙もおおむね好意的に反応。5月10日、日米両政府はオバマ氏がサミットに合わせ27日に広島を訪問すると発表する。
春子さんが共同代表を務める核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)は、17日付で「原爆死没者と苦難を生き抜いてきた被爆者に謝罪してください」と記した要請書をホワイトハウスへ送った。(下高充生)
(2025年5月26日朝刊掲載)