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[戦後80年 遺構を巡る 芸南賀茂] 大久野島の北部砲台跡(竹原市) 毒ガス・材料貯蔵場にも

 ウサギの島として知られる竹原市の大久野島は、三つの戦争に関与した。旧陸軍が毒ガス製造工場を稼働させていた太平洋戦争だけではない。島の北側にある北部砲台跡は、日露戦争と朝鮮戦争の遺構でもある。

 周回道路から木々を抜けると石積みとれんが造りの遺構が姿を現す。一段高くなった場所に、カノン砲を置いた鉄の軸の跡が七つ円形に残る。広場の一角にはれんがを積んだ地下兵舎跡もある。

 北部砲台は、島内の他の2砲台とともに日露戦争前の1902年までに完成した。瀬戸内海に侵入した敵船を攻撃する重要な要塞(ようさい)だったが、8門の大砲は一度も使われず撤去された。

 毒ガス製造が29年から始まると、毒ガスやその材料の貯蔵場となった。大砲のあった場所の一つには、タンクを据えたコンクリート製の台座が残る。周辺では96年にヒ素汚染が発覚した。終戦後は米軍が接収し、朝鮮戦争の弾薬置き場となった。

 島のガイドを務める忠海歴史民俗研究会の新本直登さん(74)は「静かだった島が国策などでこんなに多くの戦争に巻き込まれた事実を伝えたい。来島を戦争について考える機会にしてほしい」と力を込めた。(城戸昭夫)

(2025年5月24日朝刊掲載)

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