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[ヒロシマドキュメント 1946年] 5月26日 食糧供給求めメーデー

 1946年5月26日。広島駅前の広場で、食糧メーデーが開かれた。企業の労働組合や農民団体、戦災者同盟などから千人超が参加。全国的な食糧不足が加速しており、広島県の楠瀬常猪知事へ給食や配給を求めた。

 進駐軍のトラック5台が警戒する中、参加者は知事宛ての決議を採択。学童への給食実施▽乳幼児、妊産婦への特殊配給▽県内の保有米の数量公開▽地主、農業会、官僚の隠匿米の摘発―などを盛り込んだ。政権に批判的な県民主人民連盟の結成大会を兼ね、県庁へデモ行進もした。

 この様子を、翌日付本紙は「食はせろ食はせろ食はせろ」の見出しで、写真付きで報じた。30日付では「君はなにを食ってる」と、市民へのアンケート結果を掲載。国民学校の教師は朝は菜っ葉や大根を入れた雑炊を食べるが、「米粒は数へる位ゐしかない」と答えた。広島鉄道局で働く男性は5人暮らしで配給では足りず、「闇による購入」で生活は苦しいと訴えた。

 市農漁課は5月初めに「七月ごろには保有米も無くなると思ふ」との見通しを示し、米に代わるカボチャなどの野菜を焼け跡で育てるよう呼びかけていた。木原七郎市長は6月28日付の通知で、7月末までの県内の食糧不足は約5万2千石と見込まれ、県民の15日分に相当すると懸念した。

 6月からは「食糧危機突破全県運動」が繰り広げられる。広島新史(83年刊)によると、県は農村地域に米の搬出への協力を要請。市は農具修理のための鍛冶班をつくり、農村部を巡回した。(山本真帆)

(2025年5月26日朝刊掲載)

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