広島と映画 <11> 映画作家 想田和弘さん
25年5月17日
「時をかける少女」 監督 大林宣彦(1983年公開)
実験的技法と大衆性 両立
1983年に大林宣彦監督「時をかける少女」が公開された時、僕は田舎の中学に通う丸刈りの13歳だった。当時テレビをつけると、主演の原田知世の歌声と共に本作のスポットCMが盛んに流れていた。
でも生意気盛りの僕は「アイドル映画」など、ばかにしていて、観(み)には行かなかった。そして大林宣彦=アイドル映画の人という印象を勝手に脳内へ刻みつけた。恐ろしいもので、そのレッテルは長年僕を大林作品から遠ざけ、映画を作るようになってからも彼の作品を一本も観ずに平気で過ごしていた。
ところが2015年、ニューヨークで開かれた大林宣彦レトロスペクティブ上映で、目が覚めた。米国でもカルト的な人気がある「HOUSE」(1977年)を観て、打ちのめされたのだ。いや、その際併映された14分の実験映画「Complexe」(64年)で、すでに圧倒されていた。
斬新、大胆、そして限りなく自由。実験映画ならこれらの特徴は当たり前かもしれないが、大林の場合、そこになんと「大衆性」が接続する。要は「わかる人にはわかる」のではなく、敷居が低くてみんなが楽しめるのだ。大衆性のある実験映画。普通はあり得ない組み合わせ。
「時をかける少女」は、まさにそういう映画であった。モノクロ、一部カラー、多重露光、合成、こま撮り、ドリーズームなど、実験的な撮影技法を自由自在に駆使して、大林の故郷・尾道のノスタルジックな風景をバックに、観る者をぐいぐいと引き込んでいく。原田の演技は実にアイドルらしく、お世辞にもうまいとはいえない。だけどそんなことはどうでもよい。ほぼ全編に鳴り響く松任谷正隆の音楽と、大林自ら手がけた編集により、「大林時間」としか言いようのない、独特で濃密な時間が流れていく。画面から片時も目が離せない。
アイドル映画とは普通、アイドルを引き立たせるために作られる映画のことを指す。つまりアイドルが「主」で作品が「従」だ。ところが本作では完全に主従が逆転している。大林が構築するアバンギャルドな芸術作品の素材として、原田が使われているのだ。劇場公開の際、本作は当時人気絶頂だった薬師丸ひろ子主演の「探偵物語」と併映された。だから大林は、興行成績のことを気にせず、思う存分冒険ができたのだろう。
逆説的だが、その結果「時をかける少女」は、原田知世ファンにとっても最高に重要な「アイドル映画の金字塔」になった。やはり俳優が輝くためには、その舞台となる作品が輝かなければならない。作品がつまらなければ、出ている人間もつまらなく見えるからである。アイドル映画のお約束で、ちゃんと最後に主題歌が流れるし。しかもミュージック・ビデオ風の超ユニークな面白い趣向で!
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映画を愛する執筆者に広島にまつわる映画を1本選んで、見どころや思い出を紹介してもらいます。随時掲載します。
そうだ・かずひろ
1970年、栃木県足利市生まれ。台本やナレーションを排した「観察映画」と呼ぶドキュメンタリー手法を提唱・実践。「選挙」「精神」「牡蠣(かき)工場」「港町」などを手がけ、10作目「五香宮の猫」が最新作。2021年から瀬戸内市牛窓町在住。「猫様」「観察する男」など著書多数。
はと
1981年、大竹市生まれ。本名秦景子。絵画、グラフィックデザイン、こま撮りアニメーション、舞台美術など幅広い造形芸術を手がける。
作品データ
日本/104分/角川春樹事務所
【原作】筒井康隆【潤色・編集】大林宣彦【脚本】剣持亘【撮影】阪本善尚【録音】稲村和己【照明】渡辺昭夫【美術デザイン】薩谷和夫【音響デザイン】林昌平【音楽監督】松任谷正隆 【出演】高柳良一、尾美としのり、津田ゆかり、岸部一徳、根岸季衣、内藤誠、入江若葉、上原謙、入江たか子
(2025年5月17日朝刊掲載)