[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 2012年7月 伝承者の育成
25年5月28日
体験や思いを語り継ぐ
2012年7月12日。被爆者の体験や平和への思いを語り継ぐ「被爆体験伝承者」の養成研修が広島市で始まった。市の新規事業。1期生には、広島県外を含め想定を大幅に上回る19~78歳の137人から応募があった。
3年間の研修
当時27歳の保田麻友さん(40)=南区=は「インプットした被爆体験を伝える手段が欲しい」と受講した。大学生の頃から平和活動に取り組み、被爆者と話す機会が多かった。約3年間(現行約2年間)の研修では被爆の実態を学び、市の「被爆体験証言者」と「師弟関係」を結んで指導を受ける。保田さんは中高の同窓でもある新井俊一郎さん(93)=同=の記憶を受け継ぐと決めた。
新井さんは広島高等師範学校付属中(現広島大付属中高)1年の時、同級生と「農村動員」に出ていた原村(現東広島市)から入市し、被爆した。伝承者の養成へ、1期生は保田さんたち10人余りを受け入れ。週1回の研修やフィールドワークを通じ、体験や思いを惜しみなく伝えた。
「事業を始めるのが遅いくらいに思っていました。証言者は将来必ずいなくなるし、すでに高齢化が深刻でしたから」
ただ、保田さんは不安を覚えていた。若い参加者は少なく、自身の知識不足を痛感。何より、被爆者ではない伝承者が被爆者の心身に刻まれた惨禍の記憶や戦後の苦難を語っていけるのかという批判的な見方も感じていた。
それでも最終年の実習で自身の語りに新井さんが涙ぐむ姿を見て「認めてもらえた、と」。15年にデビュー。会社勤めの傍ら、原爆資料館(中区)などで講話し、平和について考えるワークショップも独自に開いている。
新井さんは講話原稿の作成過程などを巡って市の姿勢に疑問を感じ、がんも患っていたために、3期生以降は受け入れていなかったが、「これで最後」と23年度から12期生を指導している。「養成事業は研修生の熱意と信念、ボランティア精神のたまもので成り立っている。いずれ伝承者が伝承者を養成する時代が来るから、今の伝承者を完璧に育てるのが私の責任です」
子や孫たちも
市は22年度に、被爆者の子や孫たち「家族伝承者」の養成も開始。人前で語ってこなかった被爆者の体験を掘り起こす狙いがあった。平和記念公園のボランティアガイド長谷川桂子さん(59)=廿日市市=は父加来昌雄さんの被爆体験に向き合おうと応募した。「父から聞かずに、責任を持って他の被爆者の話を伝えられないと思って」
県立広島商業学校(現県立広島商業高)1年生で被爆した父は、がんとの闘病のさなかで応じてくれたが、つらい記憶になると話をそらした。「『原爆の話もええけどね』と。伝えるだけで平和は来ないと言いたかったのでしょう」。研修開始から程ない22年8月、89歳で亡くなった。
市は当時の規定で生存被爆者からの伝承を前提にしていたが、改善を求める声を受け要件を緩和。長谷川さんも研修を続けられ、24年に家族伝承者となった。「聞き足りなかったことはたくさんあるけど、養成事業がなければ父の体験は分からなかった。講話を重ねながら自分に落とし込んでいます」。2カ月に1度、資料館で来館者に語っている。(山下美波)
(2025年5月28日朝刊掲載)