[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 2016年5月27日 オバマ氏の訪問
25年5月29日
原爆投下責任に触れず
2016年5月27日。広島市中区の平和記念公園であったオバマ米大統領の訪問行事に、日本被団協を代表して被爆者3人が出席した。原爆慰霊碑に献花、追悼する姿を碑前の招待者席から見つめた。続く演説では、原爆投下責任と被害者への謝罪の証しとして、核兵器廃絶に向けた決意表明を期待していた。
歩み寄り握手
長崎で被爆した当時事務局長の田中熙巳(てるみ)さん(93)=埼玉県新座市=は、母と妹を広島原爆で失った代表委員の岩佐幹三さん(20年に91歳で死去)と並び、3列目からオバマ氏と向き合った。演説前半はうまく聞き取れない部分があったが、核時代をもたらした科学技術の進歩を顧みるくだりに「見識がある」と感じた。
「技術の進歩は、人間社会が同様に進歩しなければ、われわれを破滅に追い込む可能性がある」とモラルの重要性も訴えた演説は17分。多数の原爆犠牲者や「ヒバクシャ」に触れ、「広島と長崎は核戦争の夜明けとしてではなく、道徳的な目覚めの始まりとして知られるだろう」と結んだ。
オバマ氏はその後、最前列に座る日本被団協代表委員で広島県被団協理事長の坪井直さん(21年死去)に歩み寄り握手。通訳を介して「私は核兵器廃絶を決して諦めません。恨みを乗り越え、人類のために共に頑張りましょう」と伝えた坪井さんに、何度も「サンキュー」と応じたという。
演説では、追悼の対象として被爆死した米兵捕虜にも言及し、この問題を調べてきた被爆者の森重昭さん(88)=西区=を抱擁した。ただ、一連の訪問で原爆投下を謝罪する言葉はなかった。
記者会見などに追われた田中さんは翌日の帰りの新幹線で新聞を開き、ようやく演説全文を読んだ。冒頭の「71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて…」との一節が目に留まり、「とんでもないこと。原爆投下が自然現象だったかのような言い方で、明らかに投下責任を考えようとしていなかった」。
日本被団協の「原爆被害者の基本要求」(1984年)は米政府への項目もある。広島・長崎への原爆投下は人道に反し、国際法に違反すると認め被爆者へ謝罪する。その証しとして核兵器廃絶へ主導的な役割を果たす―。
証言を聴かず
田中さんはオバマ氏の訪問に当たり「謝罪の証しとしての核兵器廃絶の強いメッセージ」を望んだ。被団協としては「筆舌に尽くせない生き地獄を体験した被爆者の話を聞き、核兵器のない世界を、との意欲を持ってほしい」とホワイトハウスに要請文を送った。
だが、オバマ氏が証言を聴くことはなく、原爆資料館滞在は10分。広島訪問は、非人道的な被害に向き合う姿勢には程遠い「演出」と感じた。
一方で被爆者にも「世界中の人が核と命について深く考えるきっかけになった」(森さん)などと評価する声もあった。焦点は、17年1月の退任まで半年余りのオバマ氏が、被爆地訪問を糧にどう行動するかだった。
訪問1カ月半後。相手国による核攻撃前に核兵器を使わない「先制不使用」政策をオバマ政権が検討していると米紙が報じた。しかし見送りに。「核抑止力の弱体化」を懸念する日本などの同盟国や米政権内部の反対が根強かったとされる。
オバマ氏は16年12月、安倍晋三首相と共に太平洋戦争の開戦の地、米ハワイの真珠湾を訪問。敵対した日米が同盟関係を築いた「和解」を強調した。翌月、トランプ氏が大統領に就く。ツイッター(現X)で「核戦力を大幅に強化しなければならない」と発していた。(下高充生、山下美波)
(2025年5月29日朝刊掲載)