[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 2021年8月2日 「黒い雨」援護拡大
25年6月2日
住民勝訴し国を動かす
2021年8月2日。広島への原爆投下後に降った放射性物質を含む「黒い雨」で、被害に遭った高野正明さん(87)=広島市佐伯区=たち10人が、市役所で被爆者健康手帳を受け取った。いずれも「大雨地域」の外にいたのを理由に、援護の枠外に置かれていた。裁判の末に国を動かした喜びは大きかったが、「問題は終わっておらず、これからだと思いました」。
高野さんは1945年8月6日、爆心地から北西に約20キロ離れた今の佐伯区湯来町の山あいで、国民学校分校から帰宅途中に雨を浴びた。「高熱や下痢などに苦しみ、高校生の頃まで鼻血も続きました」。黒い雨との関連を疑ってきた。
ただ、国は76年、爆心地から北西方面に広がる長径約19キロ、短径約11キロの楕円(だえん)形の大雨地域に限って援護区域とし、高野さんが住む湯来町の一部などはその外側。「被爆地域の指定は、科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきである」という80年の原爆被爆者対策基本問題懇談会の答申を盾に、拡大を拒んできた。
区域6倍要望
市は10年、住民たち約3万7千人への原爆体験者等健康意識調査などを踏まえ、援護区域を約6倍へ広げるよう広島県などと国へ要望。区域外で黒い雨を体験した人も被爆者と同じように心身の健康不良を訴えているとしたが、厚生労働省は、市の調査に否定的な有識者検討会の報告を受け、12年に区域拡大を否定した。
高野さんたち64人は15年、県や市へ被爆者健康手帳を申請して却下されると、取り消しを求めて広島地裁へ集団提訴した。「時間はかかるだろうが、真実は何なのか、その一心でした」。実質は国に区域の拡大を迫る訴訟だった。
訴訟では、住民が募る思いを伝えた。「着ていた白いシャツは、雨が当たった所に黒い染みができた」「肝臓や呼吸器の機能障害がある」…。具体的な記憶や健康被害を伝え、国の線引きの不当性を訴えた。対して被告側は「黒い雨を浴びた客観的証拠はない」などと反論した。
全原告に手帳
20年の地裁判決は、追加提訴を含む原告84人全員に手帳の交付を命じた。黒い雨を浴びたかどうかの認定は特定の雨域を根拠にするのではなく、「雨に遭ったという供述などの内容が合理的であるか」の吟味などを通じて判断するのが相当と指摘した。
被告側は国の意向に沿って控訴したが、21年7月の高裁判決も一審を支持。提訴から6年近くたち原告19人が亡くなっていた。菅義偉首相は「被爆者援護法の理念に立ち返り、原告を救済すべきだ」として上告しないと決め、「原告と同じような事情にある人」も救済する首相談話を閣議決定した。
厚生労働省によると、新たな認定基準の運用を始めた22年度から24年度末までに7435人に手帳が交付された。原告団長を務めた高野さんは「一度原爆を使うと、80年近くたっても終わらない問題を生むということです」と運動を振り返る。今も広島地裁では、新基準で手帳を申請し、却下されるなどした県内の住民たちの訴訟が続く。(下高充生)
(2025年6月2日朝刊掲載)