[ヒロシマの空白 惨禍の記録] 広島城天守 壁など粉砕で崩壊か 模型作家の島さんが分析
25年6月2日
原爆で全壊した広島城天守(広島市中区)について、模型作家の島充(みつる)さん(42)=福岡県柳川市=が、被爆後の写真から現場に散乱した部材を特定し被爆時の状況を検証した。核爆発による衝撃波で土壁が一瞬で粉砕されるなどし、天守の重心が北方向にずれながら崩落したと分析した。
爆心地から約980メートルの広島城天守は焼失は免れたが、被爆後の現場には部材が折り重なって散乱。爆風で吹き飛ばされたとの見方もあった。一方で同城の学芸員が近年、低層階の柱の損壊により天守自体の重さに耐え切れず北東側に傾いて崩壊した可能性が高いとの新説を発表した。
島さんは主に12枚の高精細な画像データから、崩れた部材の落下場所や状態を観察。学芸員の説を大筋で支持しつつ、主に壁と屋根部分は瞬時に粉砕されるなどしたと新たに指摘した。土壁の芯になる竹を格子状に編んだ「小舞(こまい)」の大部分がむき出しになっていたことや、屋根部分の消失を根拠にした。
天守全体については、壊れた部材が現場付近に集中しており「倒壊というよりも主に下方向に崩壊した」と見立てた。また、崩壊を目撃した人が「城は一度飛び上がって落ちた」と証言していたことにも注目。壁や屋根が衝撃波で爆砕・飛散し、支えを失った大型の部材が落下していった状況が当てはまるとした。
これらの分析は、原爆資料館資料調査研究会が3月に発行した研究報告書に掲載された。島さんは今後、被爆状況を再現した天守の模型(75分の1)を制作する予定。「模型を作る過程でさらに知見が得られる可能性がある。専門家による物理学的なシミュレーションにも期待したい」としている。(藤村潤平)
(2025年6月2日朝刊掲載)
爆心地から約980メートルの広島城天守は焼失は免れたが、被爆後の現場には部材が折り重なって散乱。爆風で吹き飛ばされたとの見方もあった。一方で同城の学芸員が近年、低層階の柱の損壊により天守自体の重さに耐え切れず北東側に傾いて崩壊した可能性が高いとの新説を発表した。
島さんは主に12枚の高精細な画像データから、崩れた部材の落下場所や状態を観察。学芸員の説を大筋で支持しつつ、主に壁と屋根部分は瞬時に粉砕されるなどしたと新たに指摘した。土壁の芯になる竹を格子状に編んだ「小舞(こまい)」の大部分がむき出しになっていたことや、屋根部分の消失を根拠にした。
天守全体については、壊れた部材が現場付近に集中しており「倒壊というよりも主に下方向に崩壊した」と見立てた。また、崩壊を目撃した人が「城は一度飛び上がって落ちた」と証言していたことにも注目。壁や屋根が衝撃波で爆砕・飛散し、支えを失った大型の部材が落下していった状況が当てはまるとした。
これらの分析は、原爆資料館資料調査研究会が3月に発行した研究報告書に掲載された。島さんは今後、被爆状況を再現した天守の模型(75分の1)を制作する予定。「模型を作る過程でさらに知見が得られる可能性がある。専門家による物理学的なシミュレーションにも期待したい」としている。(藤村潤平)
(2025年6月2日朝刊掲載)