×

ニュース

被爆イコン 神戸の教会に 白系ロシア人が託す

■編集委員・西本雅実

 原爆の痕跡を刻むイコン(聖像)があった。広島市京橋町(南区)で被爆した白系ロシア人のフョードル・パラシューチンさん(1984年に89歳で死去)が残し、生前に通った神戸ハリストス正教会で保存されている。被爆の経緯が確認されている唯一の聖像で、知られざるロシア人被爆者の軌跡を伝える貴重な資料だ。

 被爆聖像は二つあり、いずれも縦13センチ、横10センチ。ハリストス(キリスト)と、幼子を抱く生神女(マリア)を紙か板に描いていた聖絵の部分は焼け落ち、金装で覆っていた真鍮(しんちゅう)部分が焼け焦げ、ひずんでいる。

 パラシューチンさんは、ロシア革命(1917年)で反革命軍将校として戦い、1927年に日本へ亡命し、広島で洋服店を営んだ。

 1945年8月6日、爆心地から東約1.5キロの京橋東詰めの自宅で、妻アレクサンドラさん(1980年に77歳で死去)と被爆。焼けた聖像などを携え、その年秋に神戸へ移り、戦前から住んでいた白系ロシア人らと1952年に神戸市中央区にハリストス正教会を建てた。

 被爆後は貿易業に転じたが、喉頭(こうとう)がんの手術を何度も受け、発声器を使って話さなくてはならなかった。晩年に聖像を、教会を管轄した長司祭で現在は神戸市北区に住む酒井満神父(79)に託していた。

 酒井神父は「フョードルさんは原爆で家の下敷きとなり、妻を見つけると抱き合って喜んだそうです。聖像に守られたという意識が強く、教会を心の祖国とされていた」という。夫妻が神戸で購入した住まいは、観光名所である「異人館」の伝統的建造物として1998年から公開されている。

(2009年8月3日朝刊掲載)

関連記事
白系ロシア6家族 被爆 革命後 広島に定住 13人中5人死亡(09年8月 5日)

年別アーカイブ