天風録 『気象庁150年』
25年6月1日
気象衛星やスーパーコンピューターの技術が進化しても、今なお「手描き」と知り驚いた。天気予報で目にする天気図は気象庁の担当者がパソコン上で地図に書き込み発表している▲前線解析のプロとしての経験が等圧線の曲線に表れるらしい。気象庁が観測業務を始めてきょうで150年。温暖化などで災害リスクが高まる中、命を守る情報発信の使命は重みを増す▲天気予報が国民にひた隠しにされた時代がある。晴天を敵に知られれば爆撃される―。真珠湾攻撃に出た軍部は危ぶんだ。当時観測所にいた気象学者の増田善信さんも漁師にも教えるなと命じられた。やがて出雲市にあった旧海軍大社基地で特攻出撃の隊員に沖縄の予報を教える仕事を担う。戻ることなき編隊を見送り続けた▲その後悔が気象庁退職後、原爆投下後の広島に降った「黒い雨」の範囲を描き直す調査に没頭させた。被爆手記を当たり、聞き取りを重ねた「増田雨域」は従来調査の4倍に及び、雨を浴びた人々を救う一助となった▲新聞に天気予報が復活したのは敗戦の8日後だった。「天気予報は平和のシンボル」。101歳になった増田さんの寸言をかみしめ、本欄横の天気図を見てみる。
(2025年6月1日朝刊掲載)
(2025年6月1日朝刊掲載)