『潮流』 記憶の束
25年5月31日
■論説委員 森田裕美
ずしりと重い小包を開くと、上質な紙に刷られた雑誌の束が現れた。1月に亡くなった詩人で女性史研究者の堀場清子さんが1982~2002年、断続的に発行した「いしゅたる」である。広島での被爆体験とフェミニズムを軸に、文筆で社会を問い続けた堀場さんの生きた証しとして、遺族から届いた。私を含め親交のあった者に分けてくださったようだ。
1号ごと、力の入れように驚く。反戦反核を基調に「女にとって、戦後とは?」「原爆50年」などの特集を打つ。執筆者は堀場さんに加え、そうそうたる顔ぶれの文化人で、多くは戦争体験世代だ。
誌上に集まった言葉を、堀場さんは「記憶の束」と表現していた。稿料なしで依頼していたと聞く。発行人の情熱が共感を呼んだのだろう。
奔走した堀場さんを思いながら、「先駆け」ともいえる詩人が頭に浮かんだ。やはり被爆者で「生ましめんかな」などで知られる栗原貞子さん。占領軍による原爆文献への検閲を調査していた堀場さんとも、深い縁があった人だ。
その栗原さんが1949~50年、ミニコミ紙「ヒロシマ婦人新聞」を発行していたことはあまり知られていない。紙齢わずか5号だったが、被爆後の広島で起きた女性の労働搾取や企業団体の不正、政治家の愛人問題などに目を光らせ、世の権力構造や男女格差に疑問を投げかけた。日本にウーマンリブの波が届くずっと前のこと。先見性とパワーに恐れ入る。
堀場さんが逝った今年は被爆80年、栗原さんの没後20年でもある。2人がそれぞれ時代を問うた「記憶の束」を前に、今を照らしてみる。戦争も核も格差もなくなっていない現実がもどかしい。
(2025年5月31日朝刊掲載)
ずしりと重い小包を開くと、上質な紙に刷られた雑誌の束が現れた。1月に亡くなった詩人で女性史研究者の堀場清子さんが1982~2002年、断続的に発行した「いしゅたる」である。広島での被爆体験とフェミニズムを軸に、文筆で社会を問い続けた堀場さんの生きた証しとして、遺族から届いた。私を含め親交のあった者に分けてくださったようだ。
1号ごと、力の入れように驚く。反戦反核を基調に「女にとって、戦後とは?」「原爆50年」などの特集を打つ。執筆者は堀場さんに加え、そうそうたる顔ぶれの文化人で、多くは戦争体験世代だ。
誌上に集まった言葉を、堀場さんは「記憶の束」と表現していた。稿料なしで依頼していたと聞く。発行人の情熱が共感を呼んだのだろう。
奔走した堀場さんを思いながら、「先駆け」ともいえる詩人が頭に浮かんだ。やはり被爆者で「生ましめんかな」などで知られる栗原貞子さん。占領軍による原爆文献への検閲を調査していた堀場さんとも、深い縁があった人だ。
その栗原さんが1949~50年、ミニコミ紙「ヒロシマ婦人新聞」を発行していたことはあまり知られていない。紙齢わずか5号だったが、被爆後の広島で起きた女性の労働搾取や企業団体の不正、政治家の愛人問題などに目を光らせ、世の権力構造や男女格差に疑問を投げかけた。日本にウーマンリブの波が届くずっと前のこと。先見性とパワーに恐れ入る。
堀場さんが逝った今年は被爆80年、栗原さんの没後20年でもある。2人がそれぞれ時代を問うた「記憶の束」を前に、今を照らしてみる。戦争も核も格差もなくなっていない現実がもどかしい。
(2025年5月31日朝刊掲載)